儒学で活躍した人物としては朝日一貫斎が知られる。彼は名を集義、字を季直といい、一貫斎、中丈などと号した。磯原村の出身で朝日盈谷の次男として生まれたが、一八歳の時、江戸に出て小沼直方に師事し儒学で身を立てた。初め七日市前田家で殊遇されたが、のち、岩城平藩安藤家に十数年仕えた。しかし、藩財政窮乏により給米を欠く場合もしばしばで、進言が採用されないため致仕し、本所菊川町に寓居し、貧困・病気と闘いながら己れの信ずるところに従い生き抜いたが、天保五年病没した。無窮会神習文庫に『朝日中丈語録』が所蔵されているほか、『貫道図書』『表中朱子学問』『会極尭中一貫図説』『周易説』などの著者がある。経世方略などについては最も得意とするところで、かの熊沢蕃山にも比せられるほどであったという。墓は現在東京都江戸川区春江町の万徳山広済寺にある。