文人の来遊

149 ~ 149

北茨城の地にはしばしば文人墨客の来訪がみられた。幕末の志士などの日記にも当地の記録のみられるものもある。

 俳諧で知られる遅月上人もかつて平潟辺をたずねたことがあり、福田村の酒井素英の家に泊まり、素英を伴ない東北旅行を行ったこともある。また、門人の一人平潟村の小野洞月の墓域には遅月の分骨墓があり、当地との関係が知られる。

 水戸の学者青山延寿は『常北遊記』を著わしているが、それには北茨城地方の記述がくわしい。これは、彼の祖先が磯原村の出身であるため、懐郷の筆が自ずと走ったものであろう。


青山延寿の『常北遊記』

 吉田松陰も若い折、脱藩して東北旅行をした時、下手綱から篠原貞之助(篠原禎幹すなわち鏡湖か)に案内されて磯原にきたり、その地の野口氏の宅に一泊し詩を詠じたことが日記に記されている。


吉田松陰東北遊記念碑

 松陰が宿泊した野口家というのは磯原村郷医野口哲斎(玄珠)の家であるといわれているが、その子哲太郎正安(東溟)は幕末期に活躍したので有名である。