幕末維新の政情と郷土

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列強の日本進出に始まった幕末期のあわただしい政情は、やがて封建制の矛盾を一挙にふき出させ、幕藩体制の存亡をかけた維新の内乱にまで発展した。水戸藩においても改革派と保守派との内訌は、天狗・諸生の対立となって武力衝突へと発展した。

 水戸領のほかに棚倉領や御料、旗本領が入り組んで存在した当地方は、幕末の変動期にはそれぞれの支配者の動きに影響されるところが大きかったようである。とくに短い期間に、領主の移封や交代などがあって、そのための混乱も少なくなかったであろう。

 西南雄藩の反幕運動が活発になるに伴ない、幕府や藩はその対応に苦慮し、藩士や庶民の行動を厳しく規制した。世の中の乱れは支配力の弱化となり、ひいてはその存在をもおびやかすことになるからであった。上に揚げた高札は、文久年間(一八六一~六三)、水戸藩の党争が激化する中で、尊王攘夷を唱える天狗党や、やはり攘夷を目指して人集め、金集めを目標に、上総国山辺郡一帯におこっていた真忠組などへの同調者を取り締った幕命を記したものである。


浪人取り締りの高札

 一方庶民の中には、自から乱世に処するため、情報の収集につとめる者もいた。下の写真は、平潟の豪商安満屋(菊池家)が、その商業活動の機能を使い、全国のかずかずの情報を書きとめておいた記録簿である。


平潟の豪商安満屋の風聞記録留