国会開設請願運動

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北茨城地方における自由民権運動は、全国的な波に乗って、県内ではむしろ他をリードする位であった。この運動のねらいは、諸階層の人々を結集し、民意を組織して国会の開設実現をはかることであった。そしてこの運動を推進する人物が県内各地に輩出したが、県北では多賀郡折笠村(日立市)出身の大津淳一郎などがあげられる。

 大津は、同志とはかり有隣社(ゆうりんしゃ)という政治結社をつくり、さらに明治十三年(一八八〇)一月には、興民公会(こうみんこうかい)を設立し、これを足場として、同年三月には主として県北の有志の署名を集め、「国会開設之建議書」を政府へ提出した。この建議書には、当地方から、大津村の俵〓愛ほか九名、磯原村の野口量平、平潟村の松井義質ほか六名、中妻村の滑川大三ほか二名、上桜井村の山形東一ほか一名、木皿村の柴田馨、上相田村の近藤忠平、豊田村の忍山謹一郎、関本中村の中西立隆、関本下村の斎田久ほか一名、神岡村の菊地七郎衛門ほか一名、下相田村の鈴木弘三郎らの計三二名が名をつらねている。


大津淳一郎らの国会開設建議書


国会開設建議署名者

 また大津は、板垣退助らが主導する愛国社の第四回大会に参加し、「国会期成同盟会」の設立にも関与した。

 その後明治十四年になって木皿村に正倫社(せいりんしゃ)が結成され、社長津田信夫、副社長柴田馨、顧問柴田淳らが中心になって日曜日ごとに新聞会話、討論演説会を開いていた。こうして人々は、新しい思想、知識を貪欲に吸収していった。