佐藤暁関

209 ~ 209

暁関は明治十二年(一八七九)関本中村に生まれた。本名正嗣。二〇歳の時、法律家を志して上京、野口勝一(北巖)の門を叩き、勝一が関係していた雑誌社に入社。勝一の紹介で寺崎広業、河鍋暁翠を知り、師事、画家としての道を歩む。大正十二年第一回茨城美術展覧会に「白馬江春景」を出品、同十五年第七回帝展に「聴松の図」が入選、日本画家としてのゆるぎない地歩を築いた。終生勝一を敬慕し、勝一が得意とした画材「ガマ」は、また暁関の最も得意とするところであった。昭和八年六月二十日、五五歳で没した。


「富士の図」 佐藤暁関筆


佐藤暁関自画像


「達磨の図」 佐藤暁関筆