皆空は慶応元年(一八六五)四月上桜井村に生まれた。家は名主、横目をつとめる旧家であった。名を皆空といい、名をもって号とした。
少年の頃より書画を好み、一六歳の時飄然と家を出て上京、日本画家渡辺小華、沼田荷舟に師事して絵を学び、かたわら書家柳田正斎に書を学び、研鑽多年におよんだ。のち全国各地を周遊して名所佳景を写し、またつねに阿羅門の伝道書に親しんだ。怪石風軒、万峰軒の別号がある。
画家として、書家としての皆空は、また村政に力を尽したことでも知られている。村会議員をつとめること前後四回、大正十五年四月には、南中郷村の村長に就任した。当時政争の激しかった南中郷村であったが、皆空はよく村治に力を尽した。昭和四年二月二十八日、在職のまま病に倒れ、六三歳で没した。