華川村は昭和十二年(一九三七)に経済更生指定町村の指定を受け、第一年次に事業計画を完了し、翌年度より実行に入った。
事業の推進にあたり、全村教育の施策が展開された。その目的は「本村ノ実状ニ鑑ミ、学校教育並ニ各種団体ノ特質ヲ進展セシムルト共ニ、相互ニ協調連絡シテ其ノ活動ヲ統制シ、自治ノ発達、産業ノ振興、経済ノ充実ヲ図リ、且村民ノ品性ヲ陶冶シ、郷土愛ノ精神ヲ発揚シテ協調諧和ノ実ヲ挙ゲ、以テ全村ヲ教育精神ノ雰囲気ニ飽和セシメテ、道徳経済融和セル生成発展ノ理想郷タラシメンコト」にあった。そして、この目的達成のため、「精神ノ作興、自治ノ振興、教育ノ充実、産業ノ開発、生活ノ改善、保健衛生」の六項目を掲げた「村是」が定められた。
この「村是」を基礎とし、その実施計画を協定し、実現方法を講じる機関として、全村教育中枢委員会が設置された。会長には村長、副会長や部長には助役、学校長、農会長、産業組合長などがそれぞれ就任した。地区懇談会や常会、農家組合長会、男女青年団幹部会などで趣旨の徹底がはかられ、各種事業が企画された。
精神の作興については、愛国心の培養と敬神崇祖のならわしが唱道された。自治の振興については、納税観念の培養向上が強調され、納税組合の設置が奨励された。教育の充実については、男女青年団、少年少女団、赤十字少年団などを通じて質実剛健、勤倹力行の気風が振いおこされた。産業の開発については、農事の共同作業、農家簿記、自給肥料増産などの奨励、軍用大麦共同出荷、兎皮の軍部納入、品評会共進会競技会の開催、採種圃の経営などが推進された。生活の改善については、時間の尊重、冗費の節約、廃物利用、廃品回収、貯蓄などが奨励された。保健衛生については、栄養料理講習会、ラジオ体操、検便、清潔法の励行などがはかられた。
また時局対策施設として、銃後奉公会が結成され、応召(おうしょう)軍人家庭への労力援助、慰問救済、出征軍人への慰問状、慰問袋の発送などが行われた。炭礦事業所においては、産業報国会が設置された。
このほか、農家負債解消策として、華川村四〇五戸中農家数二七九戸の負債総額一二万九三九五円、一戸平均三一九円四八銭を、一五か年後に絶無にする方針がたてられた。また二月十一日を「経済更生記念日」と定め、その日は全村民が一堂に会し、記念式を挙行、事業計画実行の宣誓をなし、その拡充推進が期された。村内の各婦人団体は統合されて、華川村更生婦人会が結成され、女子として更生計画事業推進の一翼を担おうとする姿勢を示した。