アメリカ本土攻撃の秘部隊

232 ~ 232

第二次大戦で敗色が濃くなってきた日本軍は、風船爆弾によってアメリカ合衆国を直接攻撃することを計画。「ふ」号作戦を展開。大本営直属の部隊を編成し、茨城県大津に部隊本部と放球攻撃の第一大隊を設営した(第二大隊は千葉県一の宮、第三大隊は福島県勿来にあって、日本の三か所から放球。最後には水素ガスの補給が不可能になって、海水から水素をとる装置をもつ唯一の大津基地だけが放球攻撃を行った)。天皇は勅使に巡察させた。

 攻撃は昭和十九年十一月初旬に開始され、同二十年四月初旬に終った。太平洋上空の高度八〇〇〇から一万二〇〇〇メートルを吹くジェット気流は、晩秋から約五か月間が最も強い。爆弾・焼夷弾を吊った巨大な気球は五浦、平潟間の通称長浜からおびただしい数が浮上し、朝なぎ夕なぎの北茨城海岸上空を彩(いろど)った。音もない妖しくふしぎな秘密攻撃の光景がみえないよう常磐線の列車は窓をヨロイ戸でおおって走った。


放球された風船爆弾


発射された風船爆蝉