軍による土地の強制借り上げ

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基地は低い丘陵にはさまれた何条もの沢、そこにある田や畑、あるいは山林の所有者から強制的に借り上げて設営。砂浜をふくめて約四〇万坪におよぶ土地に住民は入ることを禁じられ、大津側と平潟側のふたつの出入口には守衛の兵が立った。旧大津町の該当する地主は約七〇名だった記録が残っている。旧平潟町の該当者は立木を伐採された七名の山林所有者の記録だけであとは不明である。基地設営にあたった東京第二陸軍造兵廠が借り上げ土地代金などの窓口であったが、土地所有者の手に代金はこなかった。旧七か町村の銃後住民は初期の土木工事だけ無料奉仕させられ、下地ができると軍が兵舎や倉庫、放球台、水素発生装置などを構築。住民には軍の目的が極秘にされ、知らされなかったのに、「風船爆弾でアメリカをやっつける部隊がくるらしい」という噂がひそひそとひろがった。憲兵や特高の恐ろしさを感じているから、なるべく軍の機密にふれないならわしができた。


軍による土地借り上げ関係書類


風船爆弾基地の住民立入り禁止区域(斜線部分)