九三〇〇個を放流、アメリカ合衆国、カナダ、アラスカ、メキシコなどにとどいた風船爆弾は約二八〇個ほど。戦局を左右させるほどの効果はなかった。オレゴン州で不発弾爆発のため六名が死亡。『第二次大戦のさ中、敵の攻撃のためアメリカ大陸で死者のでたたった一つの場所』という記念碑がたてられた。原子爆弾製造工場の電線にも不発の風船爆弾がひっかかり、三日間作業休止になったり、原因不明の山火事も日本の直接攻撃とわかって、アメリカ側はあわてた。最も恐れたのは細菌弾でペスト菌などの撒布だったが、日本軍は「報復行為をおそれよ」という発想から兵器化していた細菌を使用しなかった。もし使用していたら日本に対するアメリカの戦後処置は根本的に変っていたであろう。放球基地跡は、田や畑に修復され、わずかに水素発生装置に必要とした硅素鉄粉砕場のコンクリート土台石が山かげに残っている。多額の軍事費や国民の労役、犠牲者を考えると、戦争ほど人類にとってむなしい行為はない。この事実を忘れてはならない。