新しい教育制度

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戦後の混乱は、教育の世界もその例外ではなかった。昭和二十年(一九四五)九月十五日「新日本建設ノ教育方針」が、同二十日「終戦ニ伴フ教科書用図書取扱方ニ関スル件」、十月五日「戦時教育令ノ廃止」、同三十一日「軍国主義教員ノ即時追放」、十一月六日「柔・剣・弓道ノ授業禁止」、十二月三十一日「修身・日本歴史・地理ノ授業停止」の各通達が次つぎと出され、今迄の軍国主義教育から一転して、民主・平和教育となった。しかし、急激な変化は教育界を混乱させることとなった。使用された教科書も、旧来のものの「スミ塗り」であったり、新発行のものは、仙花紙と呼ばれる粗悪な紙を使っていた。

 昭和二十二年三月三十一日、「教育基本法」および「学校教育法」が公布され、教育は民主主義の精神に則り、新しい社会の建設を目指すことがうたわれ、国民学校は小学校と改められ、翌四月一日から「六・三・三・四」の新しい教育制度が実施された。物資不足、教師不足の悪条件を乗り越え、ここに新教育はスタートしたのである。


戦前の国定日本史教科書(右)と終戦直後の日本史教科書

 下段の写真は、昭和二十二年三月の南中郷第三国民学校(現在の石岡小学校)の学校手帳(通信簿)であるが、修身・教練の評価がされておらず、国史・地理も一学期には授業が行われていなかったことがわかる。


終戦直後の学校手帳