昭和二十八年(一九五三)町村合併促進法が公布されると、当地でも七か町村合併の気運が高まり、まず昭和三十年磯原町と華川村の合併が行われた。その後、多少の曲折はあったものの、翌三十一年三月三十一日南中郷村・磯原町・関南村・大津町・平潟町・関本村の六か町村が合併し、県下一五番目の市として、北茨城市が誕生した。合併当時の人口は六万二八二人であった。
初議会は合併により一二五人もの議員を擁したため、県立磯原高等学校の体育館で合併なった三月三十一日正午から開催され、初代議長には村田弥一郎議員が選出された。五月には第一回の市長選挙が行われ、片寄富七が当選した。当時は石炭産業が盛んであり、自然に恵まれた農林水産・鉱工業のバランスのとれた新しい市の誕生として期待され、市民も新市建設の意気に燃え、制定された市章も市民の固い団結と市の飛躍発展を図案化したものであった。翌三十二年三月には新しい市議会議員三六人が選出され、同年十月には磯原町豊田から現在の地に市庁舎が新築移転された。