当市の平地面積は比較的少ないものの、一三二五ヘクタール(昭和五十五年度 以下同じ)の肥沃な水田面積をもち、農業生産額一二億円余をあげている。また近年丘陵地の畑作も、生産物が集中出荷されるようになり、大豆・ハウス園芸・ねぎ・かぼちゃなどの栽培が関本、関南地区に多く、その粗生産額は八億円余に達している。山間部では当市総面積の六割を占める山地に、針葉樹林が茂り、豊富な水資源を維持するとともに関本、華川地区を中心に、県下有数の林産資源を産し、小川・才丸はコンニャクおよび高冷地野菜の栽培も行われている。
畜産は養豚、牛の飼育が主であるが、とくに肉牛は近年「常陸牛」として出荷されるようになり、馬飼(まかい)、小川地区を中心に一八〇〇頭余が飼育され、産地化の方向にある。
歴史のある水産業は、ことなる漁法をもつふたつの良港がある。大津はいわしまき網漁を中心に昭和五十六年度には三五億円余の漁獲金額を誇り、平潟は底びき網漁を中心に同年度一九億円余のいわゆる高級魚を漁獲している。しかし第一次産業は、後継者難に苦しんでおり、近代化への方策が期待されている。
日立、いわきの両工業地域にはさまれている当市の工業は、市の工業促進政策によって急速な発展をみせている。事業所数は当市発足の昭和三十一年(一九五六)には八八であったが、高度経済成長の波にも乗り、同四十年一三三、同五十年二五四と増加し、同五十六年には二九〇事業所となり、製造品出荷額七六九億円余、工業従業員六一三六人に達した。主なものは磯原の機械・窯業、大津・平潟の水産加工などであるが、近年は化学工業の伸びもいちじるしく、工業団地の整備拡充とともに、豊富な工業用水をもつ当市の工業は大きな発展が期待できる。
商圏は磯原と大津に区分されているが、日立市、高萩市、それに福島県のいわき市などの影響を強く受け伸び悩んでいる。しかし、近年は両地区ともに中規模スーパーが開店し、商店街の努力によって、店舗数も昭和三十三年六九〇店から、同四十九年七〇六店、同五十六年八二三店と増加してきている。
観光では、花園・大北両渓谷の春秋の風景、平潟・五浦海岸の奇勝など美しい自然景観に恵まれ、あわせて野口雨情のふる里、花園神社、浄蓮寺の三十三観音など多くの史跡をもち、観光施設も整備されてきて、訪れる人も多い。とくに近年は、新鮮な魚料理と海水浴、ゴルフをセットした民宿が好評である。
太平洋を一望する茜平(あかねだいら)の高原には、昭和四十七年、自然に親しみながら研修のできる青少年の家が開所し、勤労青少年や学生たちの研修の場として年間一万五〇〇〇人の研修者を迎え、夏にはキャンプファイアーの火が絶えることがない。
昭和五十一年、全国植樹祭ご出席のためご来県の天皇・皇后両陛下が、大子町と高萩市で「お手植え」「お手まき」の行事をすまされたあと、茜平青少年の家にお立ち寄りになり、手話研修などをご視察になった。