のびゆく北茨城

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炭礦の街から、産業と文化の調和のとれた街への転換を目指す当市は、昭和五十年(一九七五)に総合計画を立案し、昭和六十年度には人口六万余を目標に諸施策がすすめられてきた。

 比較的遅れていた第一次産業の面でも、農地のほ場整備がすすみ、機械力による省力化への方向が展開されている。大津・平潟両港では、第七次漁港整備計画がすすめられ、近代的な港湾設備をもつ漁港に脱皮しつつある。また馬飼地区には広大な牧場が開かれ、畜産団地として整備されている。


近代化された大津港

 待望の常磐自動車道も、昭和六十二年以降の開通を目指し、同五十八年度には当市域でも着工されることになっている。磯原町豊田にはシングル・トランペット型の北茨城インターチェンジが、中郷町日棚にはサービスエリアが、関本町関本上にはパーキングエリアが建設され、当市内に高速道路の三重要施設が並び、完成後は、首都と本市を結ぶ大動脈となる。

 また中郷地区には「県北臨海ニュータウン」構想による新しい街づくりがすでに着工しており、北茨城・高萩両市にまたがる八七七ヘクタールの地に、工業用地と住宅用地の開発にとどまらない、流通・観光・学園・保養など、総合的な都市機能をもつ、人口二万人余の大ニュータウンが昭和七十年度の完成を目指している。このような将来の人口増加・工業生産力の増大に備え、高萩市横川の大北川水系に、県下一の集水区域八二・二平方キロメートルの広大な小山ダムの建設計画がすすめられている。このダムが完成すると、大北川河口の水害防止が達成されるばかりでなく、豊富な水資源が確保されることになる。道路網は、新たに北茨城市と高萩市を結ぶ広域幹線道路が計画され、順次整備されつつある。このような諸計画が達成される昭和七十年代の当市は、より一層の発展が期待される。また関南・大津地区には大型火力発電所の誘致計画もすすめられている。


中郷工業団地の造成


空からみる整面された農地(中郷地区)


平潟港の拡張工事

 北茨城市は、「すぐれた教育と文化をもち、豊かで働きやすい、住みよいまちづくり」を目標として、活力のある定住社会の形成を目指し、施設や環境づくりを積極的に推進している。

 県北でも指おりの住宅団地造成といわれる中郷ニュータウンは、一一〇〇戸の住宅に、約四五〇〇人が居住している。教育施設は年々改善され、新築の校舎や屋内体育館には、児童・生徒の元気な声が満ち、市内小・中学校の給食を扱う給食センターも完成した。磯原工業団地内には体育館、野球場、サッカー、ラグビー場が整備された。ユニークな市民祭りは、見る祭りより参加する祭りとして、多くの市民が楽しみに待つ行事でもある。


中郷ニュータウン


給食センター

 市街地再開発としては、昭和五十二年に大津港駅東土地区画整理が完成し、現在は磯原駅西土地区画整理がすすめられている。これら市街地再開発は、近い将来の常磐高速自動車道の開通により、急速な都市化が予想される本市にとって、山間地域の開発とあいまって、今後に残された課題である。

 なお昭和五十五年三月歴史民俗資料館・野口雨情記念館が完成し、五月同館にて、雨情と長野県中野市出身の作曲家中山晋平の縁により、本市と中野市との姉妹都市提携の調印式が行われたことは、市民にとって忘れられない。

 北茨城市は、「工業・農業・漁業・観光等の中核都市」として、二一世紀に向って大きく飛躍することが期待されるのである。


整備された磯原高等学校(上)と中郷第一小学校(中),野球場とテニスコート


茜平の天皇,皇后両陛下(昭和51年5月24日)


第1回市民祭(昭和51年11月3日)


姉妹都市提携調印式(昭和55年5月29日)


歴史民俗資料館(雨情記念館)