安政元年寅中冬五日のゆうへに四国地
及大地震始り翌卯中冬に至まて昼夜
止時なふして幾萬人の愁ひ大方なら
す山川海郷浦市中一円たり嗚
呼かなしひかな /\ 歎へし 哀むへし
高府の下町一度に崩れとつともえ
立火焔の最期は親子兄弟夫婦
子孫主従尊卑の差別なく家に打
たれ木に鋪かれ土蔵をかふり二階に
其儘逃行くもの等は火道を切られ
叫ひくるしむ有様は八艱地獄に
呵責の有様たま/\のかれ生有も我身
を夢共現ともしらぬ山路にさまよふて
夫をたつね子を尋ね殿よさまよと
なくこゑの山野に充て哀れ也光陰
の移り替も世の習ひ死に遅れたる
老若男女半死半生の者どもは元の
屋しきに杭を建柱となして苫を覆
雨露を凌も凌ぬも喰事は更に
あらされは御補の粥により少はこゝろ
ゆる/\と年も替れば卯のはるに
門松たてす七五三引す死別れた
尊霊へ念佛申計なりかかる大
変に落ふれたる人気を養んか為
絵本大変記と題号して児童の
機嫌直し町々を繁昌の地と
祈らむため人々の気跡を求め
白紙の残りたらん所へ百人首に
事よせ狂歌を加へとつと笑ふは
蛭子大国 福のかみ三 旦那さん
お気にさわるは御免そふ老 三
指百拝