2 気候(気温・降水量・風)

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 小平市の気候は、日本全体から見ると、「東海・南関東型」に属している(図1-3)。
図1-3
図1-3 日本列島の気候区分と、各地のハイサーグラフ
Ⅰ1.オホーツク海型 Ⅰ2a.西部北海道型 Ⅰ2b.東北型 Ⅰ3a.北陸型 Ⅰ3b.山陰型 Ⅱ1.九州型 Ⅱ2.南海型 Ⅱ3.瀬戸内型 Ⅱ4a.東部北海道・三陸型 Ⅱ4b.関東・常磐型 Ⅱ4c.東海・南関東型 Ⅱ4d.中央高地型 Ⅱ5.南海型
矢印は海流の方向。細線は気候区の境界。ハイサーグラフ内の数字は月を示す。

小平市内では長期にわたる気象観測は行われていないが、小平市役所から東方へ約八・五キロ離れた成蹊学園(せいけいがくえん)(武蔵野市吉祥寺北町。以下、「成蹊」と略記する)では、昭和元年から気象観測が続けられている。距離が比較的近いことや、土地利用がほぼ同じであることから、成蹊で得られた観測結果は、小平市の気候とほぼ同じと考えられる。
 気温についてみると、年平均気温は一五・二℃(気象庁がある竹橋では一五・九℃)、月平均気温の最高は八月で二六・八℃(竹橋では二七・一℃)、最低は一月で四・四℃(竹橋では五・八℃)である。このことから、小平市は都心の竹橋と比べて気温はわずかに低く、夏季に比べて、冬季は温度差が大きいことが分かる。
 気温の日常的な感覚を表す指標として、夏季については猛暑日(もうしょび)と熱帯夜(ねったいや)が、冬季については冬日(ふゆび)がある。
 猛暑日は日最高気温が三五℃以上になった日で、猛暑日になると人々の多くは耐え難くなり、熱中症になる人も多い。平成一三年から平成二二年までの一〇年間に出現した日数は延五一日(竹橋では四七日)であることから、平均すると、毎年五日(竹橋で四・七日)出現し、八月は全体の五三%を占めている(図1-4)。
図1-4
図1-4 猛暑日・熱帯夜・冬日の出現状況
縦軸は平成13~22年の10年間における各月の出現延日数、横軸は月を示す。

 熱帯夜は日最低気温が二五℃以上の日で、最低気温は日の出直前に出現する場合が多い。熱帯夜で通気性が悪い状態では寝辛(ねづら)く、不快を感じる人が多い。六月中旬になると出現し、九月中旬に終了する。平成一三年からの一〇年間に出現した日数は延一五三日(竹橋では二九五日)であることから、平均すると毎年一五・三日(竹橋では二九・五日)出現していることになる。全体の六九%は八月であったことから、八月は平均すると一〇日は熱帯夜であったことになる。同様に竹橋では、八月には一五日が熱帯夜であった。
 これに対し、寒さの指標である冬日についてみると、同じ期間に成蹊では一月には延一六一日、二月には延九四日など、合計延三四一日(竹橋では二三日)も出現している。早朝の日最低気温が零度以下の冬日は、平均すると毎年、一月には一六日、二月には四・九日出現していたことになる。
 降水量についてみると、年平均は成蹊では一、五三七ミリ、竹橋では一、四六七ミリである。日降水量は、単純に平均にすると、成蹊では四・二一ミリ、竹橋では四・〇二ミリとなる。この数値に各月の日数を掛けると月降水量となり、年間を通じて毎日(毎月)の降水量が同じである場合、各月の月負担降水率は「一」となる。しかしながら実際には、降水量は月によって異なるため、月負担降水率は「一」より多かったり、少なかったりする。図1-5は、成蹊と比較するため、都心の竹橋と山間部の小河内(おごうち)も示されている。成蹊と竹橋は降水量の状態はほぼ同じであるが、五月は竹橋がわずかに多く、七月から九月にかけては、成蹊がわずかに多い。これに対し小河内は、一二月から四月までの五か月間は平野部に比べて降水量が少なく、八月と九月は月負担降水率が「二」以上と、著しく多くなっている。これは、地形が大きく影響していることを示している。
図1-5
図1-5 月負担降水率の変化(平成16年から平成20年までの平均値)

 図1-6には、小平市に最も近い所沢地点で得られたアメダスデータを用い、平成一三年から平成二二年までの一〇年間、日最大風速が秒速五メートル以上になった延日数と、風向を示した。図によると、強風の出現が多いのは三月と四月で、九月と一〇月に少ない。五月から八月にかけては南方からの風が卓越し、乾燥している一〇月から二月までは、北方からの風が卓越している。
図1-6
図1-6 武蔵野台地の風配図
所沢のAMeDAS データを用いた。平成13~22年の平均値で、図内の数字は出現延日数。

 立春を過ぎると、西高東低の気圧配置が緩み、南寄りの強風が発生する。この最初の南寄りの強風が「春一番」である。春一番が起きると、乾燥した畑地から土埃(つちぼこり)が巻き上がるため、土埃は「赤ッ風」と称され、付近が未だ畑地が広かった頃は、畑地の防風垣(ぼうふうがき)や畦(あぜ)では吹き溜まりを造っていた。赤ッ風の凄さを示す表現として゛神棚に人参のタネが播けほど砂埃が溜まる。″と言われたほどである。