4 二百十日・二百二十日

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 九月一日頃は、二月上旬の立春から数えて二一〇日後にあたり、いわゆる二百十日である。一〇日後は二百二十日である。稲作地では、稲の開花期にあたるため、台風の襲来を警戒すべき日としている。平成一三年から平成二二年までの一〇年間に、台風の襲来が最も早かったのは平成一六年の台風二号、最も遅かったのは平成一九年の台風二〇号であった(表1-1)。九月一〇日から二二日にかけてが最も多いことから、二百二十日の凶日はやはり警戒すべき日に該当する。
 台風による影響についてみると、良い影響としては降水量がある。江戸時代前期から昭和三〇年代にかけて、小川村(小川町)は主として農業を生業(せいぎょう)とし、天水に依存して野菜類や麦類を生産していた。渇水期には玉川上水からの分流水を利用していたが、やはり天水が頼みの綱であった。水不足が予想されると、相模大山(おおやま)の雨降神社(あふりじんじゃ)へ代参が雨乞いに出かけ、あるいは青梅の御嶽神社(みたけじんじゃ)で五穀豊穣を祈願した。もっとも、降水量が多すぎると、別章で述べられているように、窪地では出水・冠水による被害をこうむる場所もあった。さらに、強風によって、農作物や家屋などの建設物に、被害が及ぶことがあげられる。台風による被害を少なくするため、各農家では耕作地の周囲に防風垣を立て、また、屋敷の周辺に屋敷林を設けた。屋敷林は、単に風を防ぐためだけではなく、生活の足しになるように、ケヤキ・竹・シュロ・カキなどを植え、また、カシやヒイラギなどの小枝が多い樹木を植えて、見栄えを良くした。
 表1-1には平成一三年から平成二二年までの一〇年間に、小平市一帯に影響を及ぼした台風が示されている。小平市周辺に影響を与える台風の襲来は、年によって異なるが、平均すると一年間に二回の襲来である。降水量は台風によって異なり、平成二二年の台風九号のように約三一ミリと少ない時もあれば、平成一五年の台風一〇号のように約二四五ミリと多い場合もあった。平成一九年の台風四号のように、多い場合は年降水量の約一五・八%も占める時もあるが、平成二二年の台風九号のように、少ない場合は二%に満たない場合もある。一〇年間に年降水量の一〇%以上の降水量を占めたのは六回にすぎず、このような状態であれば、晩春から晩秋までには三回程度の台風が襲来しなければ、旱魃(かんばつ)の心配があるため、安心して農作業を行うことが出来なかったに違いない。なお、一〇年間に、一回当たりの台風がもたらした降水量は、年降水量の約七・六%にすぎなかった。
 台風の通過に伴う出水・氾濫として、昭和三年七月・同七年九月・同一〇年九月・同一三年七月・同一六年七月・同二〇年一〇月・同二五年八月・同二八年一〇月・同三三年一〇月の記録が残っている。場所については石神井川の源流が六回と最も多く、次いで久保谷の四回、天神窪の三回などとなっている。
 昭和三三年一〇月に発生した、平安窪ほかの出水については、『小平町誌』に詳しい。