図2-8は、玉川上水駅の南側で、玉川上水の水路拡幅工事の時に現れた、露頭(ろとう)(地層が露出している断面)のスケッチである。東側の武蔵野Ⅰ面と西側の立川面を分ける段丘崖の位置に当たり、全体の比高は約四メートルである。実際見えたのは、図内でアミが掛けられていない場所であるが、東西の地形の状態から、アミが掛けられている場所の状態が推定できる。立川ローム層は一から一・五メートルの厚さで、武蔵野Ⅰ面側では暗色帯を挟んで、下位には武蔵野ローム層が見える。一方、西側の立川面では、立川ローム層の下位には段丘砂礫層が見え、さらに下位には褐色ローム層があり、段丘砂礫層とはサンドウィッチ状になっている。関東ローム層との関係から、武蔵野ローム層の下位に見える砂礫層は武蔵野砂礫層で、武蔵野ローム層の上に乗るような状態で堆積しているのは立川段丘砂礫層と推定される。このことから、単に立川面は武蔵野面を侵食するような状態で下位に形成されたのではなく、一部であろうが、武蔵野面を覆って形成された場所もあることを示している。この露頭付近から北方へ向かう段丘崖では、両段丘面の比高は二から四メートルと小さく、また緩斜面になっている所も多い。これらのことから、緩斜面の場所では、玉川上水で見られた露頭のような状態になっていると推定される。一方、露頭から南東方にある立川市立幸小学校付近から南方では、五から六メートル以上の比高で、傾斜も大きくなっているため、武蔵野面を下刻(侵食)して立川面群は形成されたと考えられる。
図2-8 玉川上水路に沿う地形・地質断面図 |
立川ローム層の層厚やATの挟在(きょうざい)、あるいは段丘崖の分布を基に、立川面は三面に細区分される。最上位の立川Ⅰ面は、ローム層の層厚が二から三メートルで、下部にATを挟んでいる。多摩総合医療センターより南東側に分布しているが、下位の立川Ⅱ面との間にあるはずの、段丘崖が識別できない。立川Ⅱ面は東青梅から入間市方向、あるいは羽村市を経て府中市西部へかけて広がり、立川面の大部分を占めている。立川ローム層の層厚は一・五メートルから二メートル程度で、ATは挟まれていない。
立川Ⅲ面は多摩川に沿って、立川Ⅱ面の下位で、船底のように細長い平面形で分布している。国立市青柳付近に最も広く分布していることから、青柳(あおやぎ)(段丘)面とも称される。立川Ⅱ面との比高は、多くの場合五メートル前後である。立川ローム層の厚さは、一メートルから一・五メートルで、下部が暗褐色層になっている場所もある。
図2-4-5には、立川Ⅰ面と立川Ⅱ面が、多摩川や支流の秋川や浅川などの氾濫域であった状況が示されている。特徴的なのは、瑞穂町長岡長谷部から北東方向の狭山市藤沢(ふじさわ)へ向かって、多摩川が流れる時期もあったことである。その後、図2-4-6にあるように、今から二万年前頃になると、立川Ⅱ面にも多摩川が氾濫した場合でも流れる水は来なくなり、川幅も狭まった。立川面群を形成している段丘砂礫層は立川(段丘)砂礫層で、層厚は二から五メートルの場合が多いが、東青梅から羽村駅の北方から拝島駅の北方を経て、立川駅の東南方に向かっては、二〇メートル以上の層厚となっている場所もある。立川砂礫層はそれより下位の地層を侵食して谷を形成し、その谷を埋積(まいせき)し、さらに立川面を数メートルの厚さで覆っている。立川砂礫層が堆積している埋没谷は、武蔵野砂礫層を侵食しているとも推定されるが、詳細については未だ分かっていない。
図2-4-5 立川砂礫層が堆積している頃(今から約3万年前頃) |
図2-4-6 青柳砂礫層が堆積している頃(今から約2万年前頃) |
以上述べた、小平市を中心とした周辺地域の地形は、図2-9に示される。
図2-9 小平市と周辺地域の地形 |
1.丘陵地 2.下末吉面 3.武蔵野Ⅰ面 4.武蔵野Ⅱ面 5.武蔵野Ⅲ面 6.武蔵野・立川中間面 7.立川Ⅰ面とⅡ面 8.青柳面 9.沖積段丘面群 10.沖積低地 11.河川 |