1 武蔵野段丘面(武蔵野面)

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 「小平市」の地名が示すように、小平市内の地形(武蔵野面)はほとんど平坦である。しかし、市内を南北に歩いてみると、各地に東西方向に延びる、高さ一から三メートルの緩斜面が分布していることに気付く。あるいは市役所の東側と一橋学園駅との間にあるような、深さ一から三メートルの窪地が点在していることを知る。さらに、市域の南東部には、石神井川と仙川の源流部がある。図2-10は、平坦地の分布、緩斜面や急斜面の配列、あるいは水路や河川の状態を指標として作成した、市内の土地条件図である。以下、凡例に沿って説明する。
図2-10
図2-10 小平市と周辺地域の地形
1.武蔵野面 2.立川面 3.低地(台地上の浅い窪地) 4.排水口のない窪地 5.段丘崖 6.急斜面 A-Bなどは、図2-11の地形・地質断面図の位置。細線は等高線で数字の単位はm

 市域のほとんどは、武蔵野面に属する土地である。東西の平均傾斜は、玉川上水に沿っては一、〇〇〇分の三・二五、青梅街道に沿っては一、〇〇〇分の三・四二で、東方へ向って緩やかに傾斜している。一方、路上などで南北方向を見渡すと、傾斜を感じることもほとんどないが、精密測量を基図とした地形・地質断面図(図2-11)によると、緩やかな波状になっていることが分かる。武蔵野面は、基盤となっている上総層群の一部である北多摩層群の上位に堆積した、上部の武蔵野砂礫層と下部の東京層から構成され、関東ローム層に覆われている。
図2-11
図2-11 小平市内の南北地形・地層断面図
1.関東ローム層 2.段丘砂礫層 3.シルト~砂~砂礫の互層(上総層群) 断面の位置は第17図を参照。本章内の地下にある太い横線は自由地下水の水位(井戸水の水面)で、2010.11は2010年11月、2011.4は2011年4月を示す(第28図・第29図を参照。)

 多くの地質柱状図(ちゅうじょうず)(ボーリング資料)を資料として作成した地図(図2-7)によると、不整合(ふせいごう)面は西から東方へ向って傾斜し、東大和市駅の南方から花小金井駅の南方へ向って浅い谷地形(たにちけい)を作っている。しかしながら、小平駅付近から花小金井三丁目にかけての表面は、ほとんど平坦となっている。
 武蔵野砂礫層の表面も、西から東方へ向って緩やかに傾斜している(図2-6)。図では、武蔵野砂礫層の基底部より起伏が複雑になっているが、使用した地質柱状図の数が多いためである。図によると、武蔵野砂礫層の表面は、一から二メートルの浅い起伏が東西方向に延びている。この起伏は武蔵野砂礫層が堆積していた頃、まだ関東ローム層が堆積する以前の地表面を示しており、武蔵野砂礫層を運搬していた当時の多摩川の河原は、微高地とその間の窪地が東西方向に延びる乱流状態であったことを記録している。窪地は流路で、微高地は砂礫堆(されきたい)の跡である。武蔵野砂礫層を覆う関東ローム層も、層厚は場所によって異なる(図2-5)。最も厚い場所は玉川上水に架かる貫井(ぬくい)橋付近の一三メートルで、一〇メートル以上の場所は、朝鮮大学校から玉川上水にほぼ沿って、東西方向へ延びている。一方、五メートル以下の薄い場所は、東大和市駅付近から東方へ延びる「ぐみ窪(くぼ)」から「小川の窪」と称される窪地で、小川の窪からは北東方向の小平霊園にあるさいかち窪を経て、黒目川へ繋がっている。
 国分寺崖線(がいせん)は、玉川上水駅の西端では約四メートルの緩斜面で、佼成(こうせい)霊園付近は崖線の中では最も比高が低い地点である。このため、両段丘面を構成する地層の堆積状態も複雑で、多摩川が堆積した武蔵野砂礫層を風成(ふうせい)層の関東ローム層(武蔵野ローム層)が覆い、その上位に河成層の立川砂礫層が載り、これらをさらに関東ローム層(立川ローム層)が覆う状態になっている(図2-8)。