細長い浅皿状窪地

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 その一つは細長い浅皿状窪地で、東西に数キロ続き、両側は緩やかな斜面で、両側の台地より一から三メートル低い。「ぐみ窪」と称される窪地は東大和市駅の北東方付近から始まり、新小平駅の北方では石塔ケ窪(せきとうがくぼ)と称され、南側は一・五メートル前後の斜面、北側はそれよりさらに緩やかな斜面となっている。大雨の場合は短時間ではあるが、どこからともなく水が集まるため、浸水状態になる。いわゆる野水(のみず)が出現する。西武多摩湖線を過ぎると北北東方向へ向かい、小平霊園の中にある「さいかち窪」を通って北東方向へ向きを変え、黒目川の源流へ落ちる。上水南町二丁目にある大仙寺(だいせんじ)の南方に源を発する窪地は東方へ向かい、国分寺街道を過ぎると、両側の急斜面は目立つようになり、並行して東方へ延びる。新小金井街道を越えると両側の台地面より四メートル以上深くなり、仙川の上流へ続く。
 国分寺市役所は、国分寺市立第六小学校から南東方向へ延びる、浅皿状窪地の中にある。国分寺市役所からはさらに南東方向へ延び、日立中央研究所の北側を経て、研究所の東側にある谷へ繋がる。同研究所より上流では、周辺の台地面より一から二メートル低い程度で、日頃は目立たない窪地であるが、大雨が降ると水が集中する。いわゆる、野水(のみず)が出現する。都立国分寺高校から南東方向へ延びる浅皿状窪地も、国分寺市役所通りより上流側では深さに比べて幅が広いため、目立たない窪地である。日吉町一丁目付近になると両側の斜面は比高を増して三から四メートルになり、さらに東方へ進むと、野川の源流である姿見ノ池がある低地に続く。
 市域の南東部に位置する石神井川の谷底は、台地面より五から六メートル低く、仙川の谷底は約三メートル低い。図2-11によるといずれも地下水面が高い時期の水面より、わずか二から三メートル高い。このことから、これらの河川は周囲の武蔵野面が形成された頃の流路で、その後、関東ローム層が堆積しても、流路に堆積した関東ローム層の多くは流し去られたため、細長い窪地として残されたと考えられる。