武蔵野の逃水

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 図2-11に示されているように、小平市とその周辺は武蔵野砂礫層や立川砂礫層から構成され、その上位を関東ローム層が厚く覆っている。いずれも透水性が良いため、多少の降水があっても、地表に落ちた雨水はすぐ地下に浸透してしまうため、降雨が終わると何事も無かったような状況になる。しかしながら、降水量が多くなり、浸透量を上回った場合、地下へ浸み込めなった水は僅かな窪地に溜まり、さらに低い場所を求めてゆっくり移動する。このように淀みながら流れる水を野水(のみず)と称し、野水は各地に水溜りを作る。水溜りは水量が増えると、周囲の最も低い所から傾斜に従ってより低い方へ細長く流れ始める。この細長い流れを水道(みずみち)と称する。野水(のみず)や水道(みずみち)は、降水が少なくなり、浸透量が降水量を上回るようになると、いつの間にか消失してしまう。いわゆる「逃水」である。逃水は夏季の夕立や台風の時に出現しやすいが、晩秋から翌年の春まで出現することは、ほとんどない現象である。現在でも野水や水道は、降水が多い時には何処ででも見られ、一時的に交通をマヒさせ、水道(みずみち)にあたる住宅地では床下浸水の被害を受けやすい。
 小平市を含めた武蔵野台地には、台風の通過や夕立で大雨が降った場合は、各地で野水を合わせた水道が出現した。地図がまだなかった時代、台地を往来する人々は、かつて通った時には小川があったのに、今はどこにも川が見つからない。あるいは逆に、以前通った時は確かに小川がなかったのに、今日は小川が流れている。平安時代から伝わっている「武蔵野の逃水」の伝説は、このような自然現象から生まれたのであろう。