第一節 雹による被害

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 雹(ひょう)は、氷晶(ひょうしょう)からなる積乱雲(雷雲)の雲頂(うんちょう)で、強い上昇気流のために氷晶が上昇と落下を繰り返すと氷晶↓雪↓霰(あられ)(または雹)に成長して形成されると考えられている。一般的には、雹は直径五から五〇ミリの氷塊(ひょうかい)だが、まれに一〇〇ミリを超える大きな氷塊(雹)もある。雹害は、五月から八月の日中に出現することが多い。範囲は幅数キロ、長さは十数キロの地域で出現し、時間は長くても一五分程度で、六〇%は五分以下であるが、まれに三〇分近く続くこともある。直径数センチの雹は、秒速一〇メートル以上の高速で落下するため、キャベツなどの葉菜物を始めとした農作物はもちろんのこと、農業ハウスや自動車のフロントガラスなどにも被害を与える。
 小平市内では昭和二年五月一七日、同三年七月三日、さらに同二七年六月二八日に雹害を受け、多大な被害を生じている。昭和二年五月一七日の時は、二日前の一五日一一時二〇分から約三〇分間、青梅市新町を中心とした東西に細長い地区で、直径一五ミリから二〇ミリの雹が降り、農作物が全滅している。当時は、数日間にわたって、大気が不安定であったのであろう。なお、図4-1によると、大正時代後期から昭和初期の頃は、前後の時期と比べていくぶん気温が低かった時期であった。
図4-1
図4-1 年平均気温・月平均気温の変化
温度は5年間の移動平均日数