浅間山は国内では有数の活火山で、大正元年からの今日までの一〇〇年間に、大被害をもたらした活動だけでも一一回起きている。山腹や山麓では岩塊の放出や山火事などの直接的な被害をもたらし、東側の遠く離れた場所でも降灰による被害を受ける。昭和五七年四月には、爆発の約三時間後頃から小平市付近一帯でも降灰があった(図4-4)。
図4-4 宝永4(1707)年の富士山の噴火と、昭和57年4月の浅間山の噴火に伴う降灰。 |
富士山から東方へ延びる楕円状の細線は、降下火山灰の厚さを示し、浅間山から南東方向へ延びる模様は、火山灰の降下によって受けた相対的な被害の状況を示す。 |
火山灰が大量に降った場合は、広域的に見ると東名高速道路や関越道を始めとする高速道路はもちろんのこと、一般道路の通行を遮断(しゃだん)し、流通網に様々な悪影響を及ぼす。また、大量の電気を輸送する高圧線にも障害を与え、一般家庭はもちろんのこと、鉄道施設や多くの企業にも影響を与える。雨が降ると火山灰が排水溝などを経て下水処理場へ流れ込み、処理場の機能をマヒさせる。火山灰は乾燥すると固くなり、様々な形で悪影響を与える。精密機械関係の工場では、空気の洗浄等による細かな対策が必要になる。