①「回田遺跡」の発見

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 先の昭和四九年度版遺跡地図に小平市の3として掲載されている遺跡は、名称を回田遺跡とする。種別は散布地、所在地は鈴木町一丁目、立地は台地上、時代は先土器、遺物はポイント、スクレイパー、現状は宅地、荒地、文献番号1008、地図18、備考昭和42吉田格調査とあり、規模・遺構は空欄である。文献1008は昭和四六年刊行の『考古学ノート』所載の「資料報告 小平市回田・国分寺市多喜窪・殿ヶ谷戸北遺跡の石槍」である(以下『資料報告』と略す)。筆者は後述八小遺跡の発掘調査を指導した吉田格(いたる)氏で、これによると、吉田氏は「小平市鈴木町旧字回田新田に無土器時代の遺跡があることを、大沢鷹邇氏から聞いた」とある。この大沢鷹邇氏は板橋区在住で、公立中学校に教員として勤務する傍ら、長年石神井川流域の遺跡を研究してきた研究者であり、現在板橋史談会副会長兼事務局長および板橋区文化財保護審議委員などを務めている。
 大沢氏は、板橋区から練馬区、保谷市(当時)、田無市(同)と石神井川流域を遡って探査を行い、最終的に小平市内の谷頭部(こくとうぶ)に到達して「回田遺跡」を発見している。その経緯については、「先土器時代〔旧石器時代〕の遺物が一次的に完全なローム層中に存在するのだという事実を知るには、関東ローム層の断面による観察が最も簡便で、確実な方法」であったが、こうした条件に恵まれない石神井川流域では、「大根・ごぼう・人参などの、根が深く伸びてゆく根菜類の畑において、(略)「天地返し」という特殊な耕作方法がとられた畑で発見されることが多かった。(略)石神井川の谷頭である鈴木遺跡において著者〔大沢氏〕が最初に表採(ひょうさい)した遺物も、表土の浅い畑で発見したものである。」との言及がある(大沢鷹邇一九八六)。