第1期 大規模開発の時期(昭和四九年八月~昭和五八年)

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 予備調査によって鈴木遺跡が「発見」され、原因となった小学校の建設に先立つ本調査が行われ、並行するように計画された農林中央金庫構内の研修棟、都道など、遺跡周辺地域の開発が一気に進んだことにともない、大規模な調査が次々と実施されていった時期である。このため小学校地点をはじめ、記録保存のための発掘調査報告書作成のための整理作業が一定期間棚上げになったり、同時に調査を行う複数の組織のメンバーの間での心理的軋轢(あつれき)が生じたりする等の問題点も顕在化した。しかし緊急調査の名の下に徒(いたずら)に遺跡を破壊したのではなく、試掘の所見に応じた工事の計画や設計の変更により、遺跡の保護を達成しえた地点も存在することは明記すべきである。
 また、調査員による遺跡周辺での分布を確認する踏査も積極的に進められ、昭和五二年には小平市遺跡地図が作成され鈴木遺跡が周知の遺跡として登載されている。