予備調査の結果を受け、小平市は昭和四九年八月から、小平市文化財専門委員で、小平郷土研究会会長でもある金子博氏を会長とする小平市鈴木遺跡調査会を組織し、ここに加藤有次國學院大学教授を団長とする小平市鈴木遺跡調査団を設置して発掘調査に当たることとなった。
小学校建設予定地点は、現在体育館の建つA地点、校舎およびプールの設置されたB地点、グラウンドの南半部にあたるD地点の三地点に細分されている。ちなみにC地点は学校用地西側を南北に走る都道の中に設定されており、工事の原因が異なることから、調査、報告も別に行われている(八八頁以下参照)。
発掘調査報告書は、翌昭和五〇年にA・B両地点に関する概報(がいほう)【概報1】が刊行された。その後は、調査担当者が他地点の調査に追われたため、当時としては異例の大規模調査となった鈴木遺跡を代表する三地点を対象とした報告書の作成に着手したのは調査終了から二年後であり、本地点に関する最終的な発掘調査報告書【報告書8】の刊行は本調査の開始から数えて五年後の昭和五五年であった。このためか、予備調査の詳細や本調査の進行状況等に関する記載がほとんど見られない。その反面、遺物に関しては石器や礫の接合関係、母岩(ぼがん)別の分類をはじめとして極めて詳細な分析が行われ、その後の旧石器時代資料研究に大きな影響を与えるものとなっている。