現地における発掘調査は昭和五〇年一〇月一日から翌五一年三月一九日まで実施された。このうち、西側の約三分の一、谷頭部寄りのグリッドは国庫補助事業の範囲確認調査のc地点として調査および報告が行われているが【報告書2】、東側のグリッドの成果と併せて改めて一括して整理が行われている【報告書8】。
遺物はⅢ層、Ⅳ層上位、Ⅳ層下位、Ⅶ層、Ⅸ層下位、Ⅹ層での六枚の文化層が確認された。石器ユニットはⅦ層では七か所、Ⅲ層では六か所、さらにⅣ層ではユニットの輪郭が識別しがたいほど多量の石器が出土している状況の中に一〇か所以上ものユニットが、礫群と重複するように発見されている。またⅣ層では上位から下位にかけて八八か所もの礫群が見られる。Ⅳ層の上位では大規模ながら散漫なものが多いが、中位では小規模の密集した小群(しょうぐん)を平面分布の中心にもち、下位では粒径(りゅうけい)の大きな礫で構成される、ややまとまりのある礫群が見られる。
接合関係、同一母岩の識別等はB地点と同様丹念に行われているが、この地点ではB地点とは異なり後世の掘削等の影響が比較的少ないため、石材別・石器器種別の分布図などが作成され、当時の石材の共有関係、動物の解体や石器製作といった住居空間における活動内容と占地(せんち)の関係等多くの示唆を与える成果が得られている。
石器ユニット以外の遺構としては、Ⅸ層、Ⅲ層からそれぞれ一基の炉址が発見された。Ⅸ層の炉址は浅いボウル状の底面をもつ不整形の落ち込みで、覆土に炭化物片を多量に含む。Ⅲ層の炉址は不整形(ふせいけい)の落ち込みで、覆土は炭化物片を多量に含む半焼成(はんしょうせい)の焼土(しょうど)である。両者とも石器ユニットや礫群は伴わない。
特記すべき資料は、Ⅲ層の細石刃(さいせきじん)、大形の削器(さっき)・掻器、礫器からなる石器ユニットで、配石(はいせき)〔比較的大形の石を並べた遺構〕がともなう。また局部磨製石斧を含む六点の打製石斧が挙げられる。多くはⅨ層ないしⅩ層に見られるが、一点がⅣ層から出土していること、大形石刃(せきじん)の末端を研磨(けんま)した磨製石刃とでも呼ぶべきものが存在することも注目される[図1-7]。
図1-7 鈴木遺跡 鈴木小学校地点(D地点) |