④遺跡範囲確認調査【報告書2、8】

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 上記の鈴木小学校地点及び八八頁で述べる都道2・1・3号線地点での発掘調査と並行して、国庫補助事業として遺跡範囲確認調査が実施された。調査は四地点で実施された。調査・報告当時はそれぞれA~D地点の名称を用いているが、混同を避けるため、ここでは便宜的にa、b、c、d地点と小文字で表記する。
a地点【報告書2】
 A地点の中央に設定された調査地点である。調査は遺跡北東部の台地上における文化層の垂直分布および東側の平面分布の確認を目的として、A地点の調査が終了した翌日の昭和四九年一〇月一日から一五日まで実施された。この地点では、所期の目的を達するために、一〇〇m2を次第に面積を狭めながら階段状に武蔵野礫層(MG)まで九m(地表面からの深さ)掘り下げ、礫層の上に堆積する二五層の自然層の観察と記録を行った。さらに各層の土壌サンプルと礫層構成礫を採取して花粉分析と重鉱物分析、および武蔵野礫層の構成岩石分析を行っている。調査の結果、武蔵野礫層上に下末吉ロームの一部が堆積していることが確認された。

b地点【報告書2】
 A地点とD地点の間、C地点の東側、台地下縁(かえん)から谷底部(こくていぶ)に設定された地点である。調査は台地下部における文化層の垂直分布の確認を目的として、昭和四九年一〇月一四日から一九日まで実施された。
 この地点でも地表面より武蔵野礫層(MG)までの掘り下げを行ったが、谷底という立地のため、礫層までの深さは地表面より五mと比較的浅く、そのうち三mが表土から続く黒色土層であった。遺構、遺物は全く認められなかった。

c地点【報告書2、8】
 D地点の西半、谷の南西部斜面に設定された地点である。調査は昭和四九年一〇月二〇日から一二月九日まで実施された。五〇二m2の範囲にわたってⅩ層まで掘り下げて、遺構、遺物の確認を行った。その結果、Ⅱ層、Ⅲ層、Ⅳ層上位、Ⅳ層中位、Ⅳ層下位、Ⅴ層上位、Ⅴ層下位、Ⅶ層上位、Ⅶ層下位、Ⅸ層上位、Ⅸ層下位、Ⅹ層と、旧石器時代の所産である一二枚の文化層が確認され(鈴木小学校地点の報告で六文化層に再編)、多数の遺構、遺物が発見された。このうちⅢ層では細石刃のユニットおよび配石が確認され、Ⅳ層では礫群が円弧状に分布する様相が捉えられたほか、焼土、炭化物粒子が多く含まれるピット状遺構が発見された。特記すべき遺物としては、Ⅹ層中より単独で出土した局部磨製石斧である。片面に原礫面(げんれきめん)を残す円礫(えんれき)素材が使用されているが、最大の特徴はⅨ層下位から発見された剥片と接合することが確認されたことである。両者は平面距離にして八・八m離れていた。この剥片はこの石斧の初期の刃部(じんぶ)に相当し、使用にともなって欠損したものと考えられるが、刃部欠損後刃部周辺に八~九回整形剥離が加えられており、斧形(おのがた)石器における刃部再生を示す資料として、極めて注目すべきものである。

d地点【報告書2】
 C地点の西側に設定された本地点(九六m2)における調査は、谷頭から西方向への平面分布の確認を目的として、同年一二月一〇日から二七日まで実施された。一辺四mの調査グリッドを六か所設定して掘り下げを行い、遺跡の西限の補足を試みたが、最西部を含む全てのグリッドから遺物が出土し、遺跡の範囲がさらに西に延びることが示唆される結果に終わった。遺物は、Ⅲ層およびⅣ層上位からの出土で、砂岩製、チャート製の焼礫片や黒曜石(こくようせき)製の剥片であった[図1-8]。

図1-8
図1-8 鈴木遺跡鈴木小学校地点(範囲確認調査)