前記の調査の後、敷地南端の田無用水路敷を建設工事にともなう搬入路として利用し、その後は暗渠化することとなったが、建設業者が確認を怠って、掘削工事を開始したため、小平市教育委員会は工事中止を命じ、文化財保護審議会にも諮った結果、縄文時代および旧石器時代だけでなく、江戸時代の田無用水を対象に発掘調査を行って遺跡の記録保存を行う必要があるとの結論を得た。これを受けて、昭和五八年九月一九日から一〇月一四日まで、小平市遺跡調査会により調査が行われた。調査では、田無用水の遺構を調査するとともに、Ⅴ層からⅩⅡ層まで掘り下げた。その結果、これまでほとんど知られていなかった田無用水について、開口部が現在の約二・五mよりも一mも広い約三・五mあり、水路の深さも一・七mと深く、底部には幅約二〇cmの溝が設けられていたことなどが明らかとなった。一方、公団住宅建設予定地部分で見つかった旧石器時代に属する資料は皆無で、それらが極めて局地的に存在していた様相が窺われる結果となった[図1-12]。
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図1-12 鈴木遺跡住宅・都市整備公団地点 |