②遺跡と遺構

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 鈴木遺跡においては縄文時代への移行期の直前の時期に、石神井川の流路(りゅうろ)短縮により水源部が下流に移った結果、この地において竪穴住居等が作られたりして集落が営まれることはなかったと考えられる。しかし、生活の場ではなかったとはいえ、狩猟採集を生活の基盤としていた当時にあって、遺跡の範囲は狩猟の場として利用されていたと見られる。このことは、鈴木遺跡のこれまでの発掘調査で見つかった縄文時代の遺構のほとんどが陥穴と考えられる土坑であることからも裏付けられる。
陥穴
 縄文時代の陥穴と考えられる土坑は、鈴木小学校地点の各地点での発見を皮切りに、住宅・都市整備公団地点で遺跡の北限付近でも発見されるなど、石神井川谷頭部北西側の緩やかな斜面を中心に、これまでに四〇基以上が発見されている。その多くは覆土の特徴や類例から縄文時代の草創期~早期に属すると考えられる、断面形態がV字状の、いわゆるTピットと呼ばれるタイプのものである。その配列や地形との関係を見ると、長軸が等高線に直交するものと、並行するものの二種類が存在し、近年まで行われていたシシアナに関する民俗事例の聞き取りでは、その習性から直交するものはイノシシ、並行するものはシカが狩猟対象とされていたといわれる。また、一基ずつ点在するものと、長軸を揃えて数基直線上に連続して配置されるものとがあるが、少なくとも後者は間に柵等を設けて、一方から獲物を追い込む猟法に用いられたものと理解される[図1-23]。

図1-23
図1-23 縄文時代の陥穴分布

 このように陥穴は縄文時代の鈴木遺跡にあって、当時の狩猟の様相を明らかにすることができる特徴的な資料であるため、前述のように回田82番地地点の調査で発見された資料が、四分の一をカットした剥ぎ取り標本として保存され、鈴木遺跡資料館での展示に供されている。
小炉穴
 三共グラウンド南側擁壁地点の斜面で発見されているが、鈴木遺跡では現在までにこの一基のみしか見つかっていない。付近から土器等の遺物は見つかっていないが、類例から早期の資料と推定される。本来住居を近くに伴うとされているが、付近に同時期と考えられる陥穴が設けられているところから、狩猟に伴う何らかの一時的な火熱の利用を物語るものとも考えられ、当時の生活の一端を伝える資料として注目される。