縄文時代の所産としての土器は、鈴木遺跡の発掘調査の初期段階で、鈴木小学校の校庭から残存率の高い、小形の中期加曽利(かそり)E式土器が一点発見されている。底部下半を失っているが、意識的に打ち欠いたものか後世の営為(えいい)によるものであるかは明らかでない。体部の文様から、東北地方の大木(だいぎ)式の影響も指摘される資料である。
石神井川谷頭部の南東に位置する安田電研地点では単節縄文ないし無文の土器片一一〇点、石斧、石鏃、スタンプ形石器各一点と、おそらくは早期の所産と考えられる遺物が比較的豊富に見つかっている。同じく谷頭部の南東、安田電研地点の北東に位置する御幸第Ⅰ地点でも、前期諸磯B式を中心に、後期堀之内(ほりのうち)式や中期の土器片が三五二点と多量に見つかっている。これら以外では回田325番地地点で、ソフトローム上面付近で一三点の土器片とともに東北地方の草創期の遺跡に類例のある形態をもつ頁岩製の石鏃一点が出土している。また、回田82番地地点で比較的残存率の高い中期曾利系土器が、誠賀建設地点では前期諸磯C式土器の口縁部片が出土しているなど、極めて限定的な出土に留まっている。