旧石器時代の大規模な遺跡として知られる鈴木遺跡が、縄文時代に移行する前にほとんど生活の場としての役割を果たさなくなったことは、石神井川の水源が東に移動したことによるものとされる。しかし、それによって縄文時代にあっては人間活動の痕跡が全く見られなくなった訳ではなく、遺構としては四〇基以上の陥穴に示されるような、狩猟の場としての位置づけがされていたものと見られる。これらの遺構は遺跡の北西部に多く見られる傾向が指摘され、時期的にも縄文時代の前半段階が中心であったと考えられる。またこれらの陥穴の、地形と配置には一定のパターンが見受けられ、狩猟法や対象獣種との関連等を検討する材料となる可能性もある。
一方、これらの領域とは対になる遺跡の南東側の調査地点では、縄文時代前期から後期にかけての遺物が数多く見つかっていることは示唆的で、あるいはさらに東側、当時の石神井川の源流部になった地域、現在の小金井カントリーゴルフ場内か小金井公園内に縄文時代の生活の場が営まれていた可能性も否定できない。新たな資料の蓄積が期待される。また、縄文時代の鈴木遺跡周辺を訪れた人々の中には、東北地方の石鏃を携(たずさ)えていた人、中部地方の土器を携えていた人もあったようで、そうした他地域との交流の解明も課題である。