②子ども茶碗

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 その名の通り、子ども用に作られた小振りの茶碗で、昭和一〇年頃から作られ始めたといわれる。子ども向けの昔話の主人公やイヌ、金魚等の愛玩動物をモチーフにしたものから始まり、次第に作られた当時の流行や時局を反映した図柄(ずがら)を描くものが多くなった。最近ではテレビ等の人気者がモチーフとなったものが多い。
 鈴木遺跡からも一〇点ほど出土しているが、その多くが腰から高台の上部にかけて帯状に臙脂(えんじ)色やオレンジ色に塗られている。モチーフとしては、戦争をテーマにしたものや、回覧板をテーマにしたものが多く見られる。前者には旭日旗(きょくじつき)、戦車や複葉機(ふくようき)、兵士を描いたものが見られ、後者には窓から顔を出した夫婦が「トントントンカラリト トナリグミ」と歌っている図や、正チャン帽をかぶった少年が棒の先にぶら下げた回覧板をもって「マワシテチャウダイ カイランバン」と歌っている図、あるいは単に扇面形(きめんけい)の枠の中に「カイランバン」の文字を入れたもの等がある。回覧板は昭和一四年八月一五日、戦争への国民の総動員をはかる目的で登場した官主導の情報伝達手段であり、少年や夫婦が歌っているのは「隣組(となりぐみ)」と題する歌の一節で、岡本一平による歌詞は「とんとん とんからりと 隣組 格子(こうし)を開ければ 顔なじみ 廻(まわ)して頂戴(ちょうだい) 回覧板 知らせられたり 知らせたり」である。昭和一五年(一九四〇)六月一七日に国民歌謡としてラジオで初放送され、同年一〇月にレコードが発売されている。したがって、この意匠をもった子ども茶碗がこれ以降の登場であることは明らかである。
 ちなみに隣組制度は昭和一三年(一九三八)年に制定された隣保(りんぽ)組織で、昭和一五年には「部落會町内會等調整整備要綱」(隣組強化法)によって制度化されている。
 この他子どもが徒競走(ときょうそう)をしている意匠のものもあるが、その服装は和服で、おそらくは当時の体操の授業や運動会の際の服装を現すものとして興味深い。