発掘調査は昭和四四年の三月二六日から二九日まで、吉田格氏の指導のもと、東京学芸大学考古学研究部のメンバーによって実施された。その当時、同大の考古学研究部に所属して調査に参加された肥留間博(ひるまひろし)氏の記憶によれば、調査に参加した学生は七、八名であったという。
ちなみに、昭和四九年度版遺跡地図の備考欄にある「昭46加藤有次、山田実調査」は、この発掘調査以降である。この年の小平市報には、市民参加の発掘調査の募集記事が見られ、そうした調査も併せて行われたものと考えられる。
2 現地での発掘調査