第三節 わかったこと、その後

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 この二か年度にわたる調査によって、小平市を南北に貫いて走る道路遺構が、小平市の南北両端とほぼ中央から発見され、これによってさらに北側の東村山市を経て所沢市東の上遺跡に至るルートを確認することができた。
 その後、府中街道と西武拝島線の立体交差事業にともない、小川団地の南側、現ブリヂストン東京工場内に橋脚が設置されることとなった。このため小平市教育委員会では、道路遺構そのものは埋蔵文化財ではないものの、道路にともなう未知の集落等の存在を考慮して、国および都の補助を受け、平成一九年一二月一七日、一八日の二日間、平成一九年度市内遺跡第二地点として遺跡有無確認調査を行った。調査は重機により西武線の線路沿いに東西のトレンチを設定して掘り下げ、人力で精査するという方法で実施された。結果的には、樹木の根やフェンスの基礎などに阻まれ、連続的に掘り下げることができず、またかつての引き込み線にともなうと思われる砂利層等により、小川団地内地点に相対する部分でも道路遺構にともなう溝状の遺構、硬化面等の確認も行えなかった。