小平の発掘調査、これから -結びにかえて-

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 繰り返し述べて来たように、平坦で自然の水に乏しい小平市域において遺跡は極めてまれで特異な存在である。しかし、逆説的ではあるが、それだからこそ、現在の石神井川によって開析(かいせき)された谷頭部という地形から、居住に適した水資源を擁(よう)した後期旧石器時代の鈴木遺跡は、ヒトが繰り返し訪れる場所となり、都内最大とも言われ、また国内でも有数の規模をもつとも言われる遺跡が形成されたのである。
 そしてまた、この数mの比高差(ひこうさ)をもたらした地形が、江戸時代後期に深谷定右衛門(ふかやじょうえもん)に水車の設置を行わせた要因であり、さらにこれが焔硝合薬搗立所の設置を促した要因である。
 鈴木小学校設置に先立つ重機による掘削が、「遺跡」の存在によって止まったきっかけが、周知の遺跡としての「回田遺跡」でなく、この水車関連の遺構である暗渠や水路だったということを考えても、後期旧石器時代の遺跡としての鈴木遺跡は、単に石神井川源流部の谷頭部に形成された、というだけでなく、そこに設置された後世の水車遺構の存在があればこそ「発見」されたという事実を常に想起しなくてはならないであろう。
 そういう点でも、この『考古編』では、内外に著名な後期旧石器時代の鈴木遺跡よりもむしろ、あまり語られることの多くない、江戸時代以降の鈴木遺跡やその出土遺物、鈴木遺跡以外で行われた発掘調査に多くの紙幅を割いた。
 今後とも、小平市内で遺跡が数多く発見されるということはあまり期待できないが、花小金井南遺跡のように、石神井川に沿った地域や、小金井市との市境に近い仙川の源流域で旧石器時代の、あるいは黒目川源流部周辺に近い東久留米市との市境付近で縄文時代の遺跡が発見されることを期待して、むすびとしたい。