震災の記憶

209 ~ 210 / 881ページ
 そしてまた、この世代の方々が同様に記憶されているのは、幼少時の関東大震災の記憶である。前述した『自分史』には次のような文がある。
「私は一人で座敷で遊んでいたのを、長女のカネさんが蚕室で養蚕に桑をくれていた時大地震が起こり、私が座敷で一人でいるのを見て家が倒れたら大変だと裸足でとんで来て私を抱えて竹山に行ったと言うが、私には記憶が無い。知っているのは竹山にいる自分と、兄金次と辰季の二人がお寺山で遊んでいて地震が起きたので家に帰ろうと川の処まで来たら、ふだんは平気でとび越えた川が地震の大ゆれで川が波立っているのでこわくてとべず、杉の木にしがみついて泣いていたのをよく覚えている。家の前に住んでいた新保クラ婆さんとトシさんが上半身裸で腰巻だけで竹山に逃げてきたのも知っている。」
 武蔵野に伝わる習俗が色濃く残る世界で育まれつつも、関東大震災という歴史的な災害体験を共有し、あるいはその直後に生を受け、そしてまた一万人ほどの人口の自治体が十八万人を越す自治体へと発展していく地域の変化に身をおいていた世代、それが現在、小平で古老とされる人たちになる。平成の時代に入るころからその人口増加自体は落ち着きをみせ、変化から安定、あるいは停滞の時代に入ろうとしているかのようにもみえる。
 以下の章は、そうした古老からの聞書きをひとつの資料としている。前述したように、そこでは往時の姿がどうであったかということよりも、変化のなかでどのように地域の民俗文化が伝えられ、また変容していったかがふり返られていることにもなる。本巻の大きな主題は生活の変容ということにもなろう。その変容を越えて旧態を維持している事象があるにせよ、そこには陰画のように、変容の中での継承という状況が深く織り込まれていよう。