かつての間取り

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図1-23
かつての屋敷まわり。図の右側が北になる。本文参照

図1-24
図1-24
図1-23の右上部分より作成。①床の間。②押入れ。③オクノマ。④ナカノマ。⑤両親の寝室 ⑥米びつなどを置く。⑤との間は障子で仕切られており⑥のみ板張り。⑦矢印の鴨居のところに観音様とエビス様が祀られていた。⑧カマド。⑨長い机。⑩作業場。⑪アイスキャンデーをつくる場所。⑫土間

 図1-23が原図であり、図1-24は原図から母屋(おもや)の間取り部分を抽出したものになる。この図の①は床の間、②は押入れになり、③が十畳のオクノマで、ここには夜、祖父と子ども(この絵を描いた方とその兄弟)が寝ていた。④は同じく十畳のナカノマで、この部屋の隅に子どもの勉強机が置かれていた。⑤は五畳間で、ここでは米びつなどが置かれる収納空間であったという。おそらく⑤と⑥はかつて一室であり、いわゆる納戸(なんど)的な性格をもっていたと思われる。⑦の場所に観音様とエビス様が祀られていた。⑧はカマドであり、ここはドマになる。⑨には長いテーブルがおかれ、ここが食事の場所であった。この家はコンニャク、シラタキ、トコロテンを⑩の場所で加工しており、これを販売していた。同家は家の南に走る連雀(れんじゃく)通りを越えて土地を持っており、この時代の戸主の弟は、連雀通りの近くに分家し、コンニャク屋をひらいていた。コンニャクなどをつくった排水はこの屋敷の外に出していた。また⑪の場所でアイスキャンデーをつくり、これを小平一帯に自転車で売り歩いていた。長く丸い穴をいくつも設けたブリキの箱があり、その穴に甘い液体と割箸を入れ、電気で冷やす機械でつくっていた。同家の副業である。⑫もドマ続きの場所であり、昭和三十五年に家を改築するまでこのドマはこのままだったという。かつての小平の家の間取り自体は第四章でふれるため、次にこの家をとりまく屋敷地全体の概略をみてみよう。