図1-25は、図1-24と同じように原図をなぞって起こした図になる(ただし前二図と違い上が北となる)。この図の逐一の説明は、図に付されている説明文を参照していただくとして、その概要だけ述べておきたい。
屋敷地に入ると、まず左右両側にヒイラギのクネ(垣)があり(図中a)、左のクネのむこうにはモウソウチクの藪があり、さらにそのむこうには栗林がある。実が落ちるころになると、近所の子どもがこっそりと拾いに来ていたという。ヒイラギのクネの右は、図1-24で述べた母屋がある(同①)。そしてそこから南側には、土蔵(同③)、物置(同④)、条桑(じょうそう)小屋(同⑥)、豚小屋(同⑦)、推肥小屋(同⑫)など、様々な付属舎が配置され、その外縁に小祠が祀られ、竹林があり、また肥溜なども配置されている。この外縁部の南には用水が流れ、その先にはこの家の畑で、西割り、中割り、東割りと称される三つの短冊状の畑区画が南に伸びていた。同家は江戸時代に組頭を勤めていた家でもあり、畑は近隣の他の農家よりも広く有していた。
同家は昭和二十年代半ばから三十年代前半にかけてスイカの栽培には特に力を入れ、一トン積みのトヨペットの四輪車で、世田谷の松原、烏山(からすやま)、調布の仙川などの市場に出荷していた。また前述したように、アイスキャンデーやコンニャクなどの製造、販売も行っており、昭和三十年代半ば以降は、敷地内にゴルフ練習場、ボーリング場、さらには自動車の教習場をつくり、農家から大きく変わっていった。現在、この地は、用水とその近くのケヤキの木々を除くと、この絵のおもかげは皆無といってよい(図1-26)。
図1-26 図1-23~25で示した場所の現況(点線内) 上水本町付近(2011.2) |