歴史の痕跡

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 図1-25の⑬はフルインキョヤと呼ばれる建物であり、これは古隠居屋の意味であり、かつて隠居宅として使われていたのだが、昭和三年まではここが母屋だったという。この年にこの図で示されている母屋が新築された。赤いトタン屋根の建物で、当時の金額で五千円ほどを要したという。つまり図1-24は昭和三年以降のこの家のありさまということになる。それまでの母屋ははるかに小さかった。おそらくそれは江戸時代の母屋の位置と規模を踏襲したものであったろう。
 昭和三年に建てられた家とそれを中心とする屋敷配置が、ひとつ前の時代の農家の生活空間のありようだったとすれば、その場の中に隠居宅として、さらにそのひとつ前の歴史がとどめられていたことになる。昭和二十年前後に生をうけた人たちの子ども時代とは、まだそうしたむらの古層が景観のなかにさりげなく存在していた時代でもあった。
 前述した四百枚近く描かれた絵には、こうした往時の生活のありさま、農作業の様子など、かつての武蔵野の農村をうかがい知る絵柄のものが数多く含まれているが、それと同じくらい、自動車の普及、テレビの普及、それにともなうプロレス人気の隆盛などの絵柄もまた多い。これは受けつがれてきたものと変わっていくものとが並存する暮らしのありさまとみることもできる。この世代の人たちの中学生時代の作文には、後述するように、上水道普及以前の井戸汲みの苦労や、夏の畑仕事の手伝いの苦しさなどを述べたものが散見する。育った環境やその体験は従来の農家のものでありながら、同時に全国に同じ情報やイメージを届ける電気媒介の発展に囲まれて思春期を過ごしたということでもあろう。前述したように、私達が今回の調査で比較的多く話をうかがったのは、昭和二十年前後に生まれた方々になる。本巻は、その半ばをそうした聞き取りに依る記述がもとになっているため、最長老の年代と、それより一世代下るが、多く話をうかがった世代の、その世代の記憶のありようを前提のひとつとしてここで少し示してみた。