この世代人たちの少年期の作文をここで少し示しておきたい。いわゆる高度成長の波が及ぶ直前の武蔵野台地の中学生の日常のひとこまであり、本巻の記述に大きく寄与いただいた世代の方々のかつての日々の一端があらわれていると思うからである。
まず、小平第一中学校の昭和三十五年の卒業文集『すみれ草 No13』から。
・「今日はいつもより涼しいので朝から畑の手伝いをした。涼しいといっても夏はやはり暑い。(中略)なにしろ陸稲の中には風が通らないので蒸し暑い。一作業終わるのになかなか大変である。(中略)気が付いたら汗が玉のように流れていた。あと少しなので頑張ってやり終えた。そして急いで家に帰り体を拭いて一休みしてからさくきりにかかった。作が長いのでなかなか骨が折れる。(中略)それから大根や人参や白菜を播く用意をする為に草取りをした。今度は陸稲の中と違って大変楽だ。草かきでかけば良いのである。それが終わると、又さくきりをした。それから肥料を白菜の所に三〇センチ位おいてから土をかけないでおいて、雨が降ってからかけるようにした。これで今日の畑仕事を全部やり終えた(後略)」(『ある一日の仕事』)
次に昭和三十五年刊行の小平一中生徒会誌『すみれ No2』より。
・「おれの家は水道じゃないから、水をくむのはおれの役目だ。(中略)おれは思いきって「ねえ。おかあさん井戸のポンプいつになったら買える。」ときくと、母は「そうね、あとどのくらいかしらね。」といったから、おれはこう聞き返した。「おれが勤めるようになってから。」「-。」母はだまっていた。(中略)おれは自動人間ポンプみたいだな、停電のときでも動くポンプだと思いながらくむ。この水くみの忙しいときは、朝夕まであるが日曜日とか休日はもっと忙しい。また、いちばんやな時は雨のとき。雨の日は、おれはレインコートを着て外に出る。(後略)」(『水くみ』)
・「ぼくの家は、とうちゃんと、かあちゃん、ねえさん、おじいさんとぼくの五人家族です。(中略)くわもぎは三人でします。朝飯をたべて六時半ごろ三人で、くわびくをしょって、むろうちむこうの畑に行き、ミンミンゼミの鳴き声を聞きながら、くわの葉をもぐ。ぼくは少し速くもいで、畑の近くのクリの木の枝をおって、くわの葉が太陽に当たらないようにする。くわをもいで家に帰ってくると一時頃になります。それからぼくは勉強し、かあちゃんとねえさんはかいこにくわをやったり、温度を上げるために火をたいたりします。おかいこは二十グラム(原文には「卵量」と注記がある。蚕種の重さを示す-引用者註)かっています。(中略)かいこがだんだん大きくなると一日に二回くわもぎに行く。(中略)」(『おかいこ』)
三番目の作文は、この時期では珍しくおそくまで養蚕をやっていた家の例で、この文のあとに蚕が脱皮を経て上簇してマユになるまでの描写が続いている。こうした作業は、大正期後半に生まれた方々も同じように体験していた手伝いになる。