ブルーベリー栽培

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 そうした事例のひとつに、小平ではブルーベリーという果樹があげられる。これはイメージというより、実在の植物であり、またその果実を利用しての商品を指すのだが、小平の場合は「日本におけるブルーベリー栽培発祥の地」ということを強く打ち出しての性格を持つ。
 ブルーベリーはツツジ科スノキ属の小果樹で、夏に実をつけ、この実は眼の疲れに効能があると言われている。ただ、この果樹が小平市内で栽培されたきっかけは、きわめて偶然性の高いものだった。花小金井の農家に昭和十九年に生まれた青年が花卉栽培を志して東京農工大に入学したが、その指導にあたった教官が、大学の圃場の一角にアメリカからとりよせたブルーベリーを育てていた。そのことがそもそものきっかけになる。そうした経緯は巻末資料③を参照していただきたいが、その後いくつもの偶然の重なりによって、大学で育てられていたブルーベリーの株が分けられて花小金井の畑の片隅で育てられることになる。しかし、まだその当時は、ブルーベリーの一般社会での認知度はきわめて低いものだった。これが全国的に認知を得たのは、平成十年代半ばに、昼のテレビ番組でその効能が紹介されてからのことだという。それに前後する時期に小平の洋菓子組合、酒商組合が商品化を試み、同十八年、生産者が「小平ブルーベリーの会」を設立し、収穫時期の八月に第一回ブルーベリーまつりをひらいた。こうした動きに市もバックアップを行い、小平商工会とJA東京むさし小平支店と市とが一体となって同二十年、小平ブルーベリー協議会が設置されている。またシンボルマークをつくり、その愛称を市民から募集している。現在、市内でブルーベリーを栽培している農家は三十軒余りになり、摘み取り直売なども行われているが、そのほとんどは加工商品の販売となっている。なお平成二十二年現在では、ブルーベリーは長野、群馬の二県の収穫量が多く、東京都は三番目である。また、都内の収穫量のうち五パーセントほどが小平産であるという。
図1-29図1-29
図1-29
(左)出身地のきずなを確める動き。小川町(2010.10) (右)小平のブランドを創出する動き 学園東町(2010.6)

図1-30
図1-30
ブルーベリー栽培 花小金井(2010.05)

 平成二十三年夏、「地域宣伝隊 コダレンジャー」が誕生、これは丸ポストレッド、ブルーベリーパープル、グリーンロードグリーンの三体から成る戦隊ヒーローである。グリーンロードとは、玉川上水、野火止用水、狭山・境緑道、都立小金井公園をむすぶ小平を一周する散歩道であり、晩秋の収穫祭はこの道に面した中央公園で行われ、また八月上旬には「灯りまつり」のイベントも行われる。これは平成二十三年で六回目をむかえている。
 かつて商店に勢いがあった頃、商工会が中心になり「ミス小平」を選出していた。これは昭和五十二年に開始されたが、昭和から平成に変わる頃に行われなくなっている。昭和三十八年には「小平音頭」、「小平小唄」(東芝レコード)がつくられ発表会が開かれている。平成二十四年には、市制五十周年を記念して「新こだいら音頭」も作成された。なお、小平全地域を対象とする初期のイベントともいえる「小平町民祭」が始まったのは昭和二十六年のことになる。
 こうして創出されていくシンボルや行事は、あるものは流行としてあらわれ消費され衰えていき、あるものは形を変えつつも受けつがれていくのであろうが、現在行われているその個々の意味あいをみるには、もう少し時間が必要であろう。偶然性ということでいえば、第六章と九章とで述べるいくつかの商店街で定着しつつあるイベント-サンバカーニバルや青森ねぶたなど-創出の例もある程度は偶然性に依る性格をもっており、市のイベントとして最も大きな規模をもつ秋の「小平市民まつり」-平成二十三年で三十六回目となる-で、あかしあ通りにくりだされる氏神社のみこし(平成二十三年では四台)は、必ずしもその内に御神体が安置されているわけではない。