正月から春先まで

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 「覚帳」は前半に出費、その後半に入金を分けて、原則として日付順に記されている。日付と金額とその用途が記され、入金については出荷換金物の等級や数量、出荷先なども具体的に記されている。覚帳の全項目は約八百六十項に渡っている。まずその一部、昭和十二年一月から三月の記述(表2-1)を紹介していくことからはじめたい。
 
表2-1 1月~3月までの出金の部
(「金銭出入帳 大沼田新田 大久保粂次郎 昭和12年」より作成)
金額内容金額内容
1122銭ヒ々キ巻煙草32729銭田租
139銭端書六枚代3170銭水散薬二日分
11014銭ヒ々キ巻煙草
外ニ手拭袋六枚
3235銭油豆腐
1103銭熨斗袋十枚22724銭神社春祭禮懸リ
194円闢玉辰五郎倅入営ニ付餞別3250銭傳一ノゴム靴
1111円也小川中央公会堂 路(落カ)成式ニ祝ヒ3370銭水散薬二日分
1121円10銭宮田兼吉ニ病気見舞菓子折3570銭右同じく
11225銭右ニ行時電車賃371円也右同じく 外ニ塗リ薬
11250銭千駄ヶ谷 神戸ヘ年玉3491銭消防費懸リ
1132円70銭丗一日ヨリ一月十三日 〓 昭和病院ニテ治療代3円也三人小使
1141円10銭鉈一丁3620銭方散
1141円10銭さすが一丁364円也富山ノ薬代 前年度
11472銭西荻窪ニテツクタ煮折3111円也是レハ小川良助死亡ニ付寄付ン出ス
1131円也新保重治宅ヘ出産見舞3122円也是レハ宮田家の兼吉三十五日ニ付御仏前へ備ル
12552円50銭中野高橋乞  米糠五十俵3121円也右ニ付塔婆料ニ出ス
12880銭第二学校へ暖防其他之費用ニ寄付ニ出ス31246銭右ニ付電車賃並ニ自動車賃に出ス
13160銭揚笊之代3103円80銭紺ノ反物弐反代
13155銭造込籠之代31030銭右ノ者ヨリ小切之代
13165銭下駄の鼻緒十足代31218銭葱壱把ノ代
13180銭朝日新聞一月分の代31210銭?柑ノ代
13030銭粂四郎髪勅(?)賃3970銭水散薬二日分田無佐々醫院
235銭収入印紙之代31170銭右同じく
241円20銭コール天股引一足31370銭右同じく
2460銭小共メリヤス上下之代31329銭清戸ノ岩崎新蔵へ手土産と御礼のだんご
1301円17銭本橋好一祝儀ニ付 御祝ひの品物共31350銭胃薬ヂアスタゼー
2630円也高円寺宮田兼吉死亡の時香料之費3131円也キャベツ種子トナス胡瓜
263円30銭右ニ付 造花ノ代31358銭油障子ノ紙丗枚 細筆
261円20銭右ニ付仏前之備物代31330銭だんご
2612(?)銭ヒビキ巻煙草31450銭下里の信心者へ
261円60銭会葬ノ時二人分電車賃31530銭久留米自由学院ノ医者 二日分
2105円也トンビ裏返し代ト裏地ノ代入金大久保へ3154円10銭也甘藷種二俵半
2152円也石神井町関 清水定蔵の小児出産祝ひ3162円50銭也屋根替手間代 五人分
2152円也桜井万蔵母ヘ香料出ス31775銭自由学院五日分
21620銭ボンソー膏31775銭金まんが二ツ
21790銭ふとん地一反3141円也斉藤信太郎死亡ニ香料ニ出
2193円也トンビ直シ代  大久保洋服店31530銭右念仏ニ行ク時
21860銭昭和病院散薬三日分31760銭三月分簡易保険金三人分
21626銭白足袋一 金子セン31830銭鯉二匹
21534銭電車賃3181円20銭也深大寺ノ大師様テニ厄除護摩ト御詣リ
21910銭さらし饂飽31950銭高圓寺ノ不動尊ヘ御詣リ
21630銭菓子31980銭裡足袋一足
22160銭散薬三日分3199銭初午旗(か)ト額
2222円也柳窪野崎除隊祝ひニ出ス31929銭サラシ半反
2221円43銭野崎守壽除隊ニ付旗代ニ出ス3213円也千駄ヶ谷神戸富太郎氏家の三回忌法要
2231円也当麻伝兵衛へ雛代3211円也右ノ時ソトウ婆
2232円30銭野崎多重郎へ雛代32180銭同手土産
22310銭右ニ付昼食代32139銭同乗物代
22312銭ヒビキ巻煙草32320銭豆腐
2271円30銭二月分電気料3231円也泉蔵院ニテソトウ婆料
22880銭二月分新聞代32275銭自由学院の(か)医院散薬五日分
2283円54銭新保店一月二月両月の勘定渡ス3246円80銭神保店ニ 三月中買物代
2281円?5銭シヤブロ上等一本32645銭??油三合  紙六枚
21950銭西荻の小共ニ出ス3261円也高橋店諸買物
21915銭自動車賃ニ出ス32510銭丸山様へ
3230銭粂四郎髪剃賃ニ出ス32510銭機発油
324銭ナデシコ四匁之代32980銭三月分 新聞代
3215銭酒之代3292円70銭大リヤカーの使用 材料代
3118銭ソバ弐束之代33040銭ハズシ縄四巴
3110銭高橋へ支払  菓子之代3301円30銭電燈料 三月分
32676銭高円寺宮田へ行時電車賃ニ出ス33015銭玉砂糖
32650銭米麹之代33124銭ヒビキ巻煙草 二つ
32770銭水散薬二日分田無佐々醫院

 
 一月一日の出費に「ヒ々キ巻煙草(まきたばこ)」の二十二銭が記されている。「ヒ々キ」はヒビキのことで、煙草の銘柄である。当時、よく知られていた銘柄にヒビキとアサヒとがあり、これは高橋家(二代目の小平村長の家)の店で売っていたという。高橋家では菓子なども売っていた。
 さて同月三日は「端書」とあるが、これは葉書のことである。とはいえ、この記録をした方(以下、記録者と表記)は年賀状は出さない方で正月三日の購入とはいえ、通常連絡のための購入葉書であるという。同九日の入営の餞別は調布、深大寺の親類へのものになる。祖父(記録者の父親)の妹の嫁ぎ先の息子の軍部入営に際してのものだという。後述するが、年間をとおして、親類間の祝儀、不祝儀、見舞いなどの出費の比率は高い。親類をはじめ仲人をしてくれた家や隣組など、この年、こうしたつきあいでかかわりのあった家の数は計五十五軒ほどにもなっている。
 同十二日の「神戸へ年玉」とは東京・千駄ヶ谷にいた記録者の父親の弟で、彼はよい将棋相手であった。彼への年賀になる。次いで十三日の「治療代」はこの覚帳の記録者の治療代らしい。同十四日の「さすが」とは大き目の切り出しのことで、竹を割くのによく使っていた刃物であり、その購入費用である。次の十四日の「ツクタ煮折」は、記録者の三女が杉並区西荻の佃煮屋に嫁いでおり、そこで購入した費用になる。また、順がみだれているが十三日の「出産見舞」は同家の家の前の飲み屋の息子の出産見舞であるという。この家には養蚕や茶摘みに人手を頼んでいた。またこの飲み屋へは記録者の隠居した父親がよく一杯飲みに行っていたという。次に、同三十一日に新聞の代金が記されているが、この当時この近辺で新聞をとる家は少なかったという。
 二月十日は、この記録者の弟が、国分寺の洋服屋にいて、そこへの発注品の支払いである。トンビとは外套(がいとう)の一種である。二月六日に香典。同十五日に出産祝いが記されている。前者は記録者の二女のつれあいが結核で死亡したためであり、後者は近くの家の嫁が石神井に嫁ぎ、出産した祝いを指している。同二十二日の除隊祝も親類筋への出費になる。また二十三日の雛(ひな)代は、記録者の仲人の家へのお祝いを示している。二十七日に電気料とあるが、同家は、トンボ口(玄関口)、座敷、勝手、オクと四か所に電気を引いて電灯をつけていたという。また、同二十八日の「シャブロ」を購入しているが、これはシャベルのことである。
 三月十四日に書かれた「下里の信心者」とは、現東久留米市の祈祷者であり、初午には稲荷社のお祈りに来てもらい、二か月に一回くらいは神棚や稲荷社を拝んでもらい、家相見も頼んでいた。信心者に来てもらった時にはうどんを作ってご馳走し、お礼を渡している。十五日の「医者」は眼科であり、当時眼科は久留米にしかいなかったという。同月十六日には草屋根の葺き替え手間賃を払っている。五人分二円五十銭である。草屋根は二十年に一回くらいの割で葺き替え、小平在住の屋根屋を雇い、親類筋からも手伝いを頼み、二、三日かけて一度に葺き替えた。十七日の「金まんが」は鍬の一種であり、堆肥をかき混ぜるのに使っていた。十八日の「鯉」は魚売りから買ったもの。記録者の妻は血の病がちで、よく鯉を買って食べていたという。それ以外には毎年来ていた富山の薬売りの実母散(じつぼさん)に頼っていたという。