出費の傾向

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 さて項目をたどる逐一の紹介はここでおき、一年全体を通していくつかの傾向を次に指摘しておきたい。なおこの「覚帳」の書かれた昭和十二年当時の米の価格は一俵十二円九十銭であった。表2-2は月毎の出費額を示している。一年間に最も出費の多い月は六月である。次いで八月、十二月、四月の順となっている。出費の最も少ない月は七月、二月である。ただ月ごとの粗密には、前述のように、親類間の祝儀不祝儀の出費という必ずしもその時期が予測できない出来事も反映しており、それらは必ずしも農家の一年の出費のリズムの率直の反映ということにはならない。表2-3、及びグラフの項目別出費をみると、前述したように金肥の出費が突出しており、当時の農家の出費のきわめて多くが金肥に充てられていた農業のありさまをうかがうことができる。次いで多いのがつきあい関係の出費となっており、このことを想定してこの表をよむと農家の一年のある程度の出費のリズムや性格がよみとり得るように思う。
 
表2-2 1月~12月の月ごとの出金額
(表2-1と同資料より作成)
金額
1月71円32銭
2月38円20銭
3月60円85銭
4月239円58銭
5月56円60銭
6月433円35銭
7月32円43銭
8月424円26銭
9月226円26銭
10月83円47銭
11月131円12銭
12月306円52銭
合計2103円96銭

表2-3 項目ごとの出金合計額(1月~12月)(表2-1と同資料より作成)
表2-3

 
表2-4 月ごとの項目別出金額(表2-1と同資料より作成)
表2-4

 さて前述の年間の出費の多い月が何によるものかを表2-4、及びグラフに表した。このグラフをみていくと、出費の最も多い六月の大きな出費の費目は保険などと納付金である。詳細は不明だがある家への返済金で二百円、それと勧業銀行への年賦金と利子が百二十四円八十二銭で、この二件が大きい。そして生産関係では秋の作付の準備であろう根菜専用及び白硫安などの肥料代で、三十三円十九銭である。
 次の八月はつきあい関係の出費が、百九十三円五十四銭と大きく、そのなかで、不祝儀や出産などの祝い事、見舞いなどのむらうちの慣例的なつきあいへの出費は合計四十二円十銭となっている。この当時、不祝儀には一円から二円の香料が一般的であったようだが、近い親類への三十円という高額な香料の出費が一件ある。そしてこの親戚には続いて忌明け、墓参りにも出費があって、これらの合計は三十三円五十銭であった。ただ、この月のつきあいの出費には、むらうちの慣例的なものとは別のつきあいの百五十円という金額があり、この額は大きい。これは親類の土地代を肩代わりしたもののようで、この金額が八月のつきあい全体の出費額を引き上げている。
 こうしたつきあいの出費に次いで多いのが小麦の肥料代である。化成肥料の四カマスの代金である。その額百四十円。同家では小麦は養蚕に次いで収益を得る換金物で、それにかける肥料代も大きい。三番目に出費の多い十二月も大きな出費は肥料代で、その他は食関係である。一括購入した金肥、化学肥料、下肥を含めた代金は百五円五十銭強である。後述する春の肥料代に次ぐ出費額である。春の作付のための土ごしらえ用の肥料であろう。
 肥料代に次ぐのが食関係の出費で、目につくのは白米の購入代である。一部同時に購入した肥料代も含む代金百一円三十四銭が大きい。同家は前述したように小平でも数少ない水田持ちの家で、一反歩ほど米を作っていたのだが、埼玉県川越から白米を三俵、三十七円九十銭で購入し、また高円寺の高橋米店から白米の約定金と米糠五十俵を購入し、その代金二十円であった。同家のような大きな家でも日常食べる主食は麦ご飯であった。白米はモノビ-祭日や冠婚葬祭などの特別なことが行われる日-や、農作業の節目、例えば田ごしらえに耕馬を頼んだり、養蚕の上がりの時に食べたものである。奉公人のほかに、とくに養蚕の上簇(じょうぞく)時や茶摘みなどにはなじみの近隣の人を多く雇っており、家族だけでなく、そうした手伝いの人もよんで慰労したもので、その時は赤飯を出した。白米はそうした時の準備の購入であろう。
 また、年の暮れの月は、着用具の購入も多い出費となっている。こまごまとした呉服、反物、足袋類を買い揃えている。その額四十円三十四銭である。これは家族の者だけではなく、奉公人へのお仕着せの分もあったと推しはかることができる。さて四番目に出費の多い月は四月である。突出している出費も肥料代である。出費額の高い月の費目が肥料代によることは再々でてくるが、四月の肥料代は年間の肥料購入代金のなかで最も高く、百九十五円九十三銭である。春肥の準備である。