竹と樹木

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 竹や樹木もかなりの入金の額になっている。竹の種類は孟宗竹が多く真竹は少なかった。孟宗竹四十本、真竹十五本を三十円で売っている。また、木は杉、椹などの立木も売っているが、杉の木一本が五十円であった。注目したいのは枯れ杉や折れ木までが売り物になっていることである。この枯木や折れ枝は燃料として買われたのであろう。当時は毎日の食事の煮炊きや暖をとるのにヘッツイ(かまど)やイロリで毎日薪やソダが焚かれていた。
 かつての小平の農家は、家が隠れるほどこんもりとした木々に囲まれていた。そして屋敷には必ずといっていいほど竹林があって、稼ぎの材のひとつになっていたが、同家にはそのほかに柏の木も裏手に植わっていて、柏の木の枝と竹や木、枯れ木など合わせて合計百六十円五十銭の収入になっていた。
 さらに同家は所有耕作地が広く小作に出している畑も少なくはなく小作料百八十円が入っている。小作料は六月と十二月の年二回、麦そしてさつまいもの収穫時であろう月に分けて受け取っていた。
 以上が収入の大きな柱である。このほかに百円以上の収益の換金物をとしては、じゃがいも、野菜などがある。じゃがいもは西荻の肉屋に売っているがこれはコロッケの材料になっていたという。また同じく西荻の漬物屋、ここは同家の遠い親戚になるのだが、この漬物屋に記録者の三女が嫁入りしており、西荻の肉屋との取引があった。また、高庄(店の名前か)には六十俵ほど出荷して六十四円八十銭の収益があり、そのほか同家がさつまいもを最も多く出荷している中野区の「信濃屋」にはじゃがいもを二十俵強、馬橋の夜市にも二十五俵強出荷している。

図2-3
じゃがいも畑 小川町(2012.6)