こまごまとした収入

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 続いて百円以下の生産項目と収益は、⑧茶(七十二円八十七銭)、⑨ズイキ、ミョウガ、トマト、ミツバなど(計百三円四銭)、⑩大麦(二十四円二十銭)、⑪里いも(十八円四十五銭)、⑫赤芽いも他(表中では赤芽芋、十六円十五銭)、⑬茅(表中で萱、四円五十銭)、⑭桑(四円)、⑮ゴボウ(表中で牛蒡(ごぼう)、二円二十五銭)、⑯作物の芽(三円)となっている。
 その他は換金物ではないが、小作料(百八十円)、祝儀金(五十五円)、奨励、補助金など(二十四円九十七銭)の入金があった。
 茶は摘み取った生のままの茶葉を共同出荷した分の収入が多く、一部、秋津の機械製茶屋へも売っている。茶には一番茶と二番茶があり、一番茶は茶の芽の出初めを摘み、その後にまた出てくる芽を摘むのが二番茶である。その間一か月間余りある。茶は七十二円八十七銭の収益である。この経費は収益の二割強の十六円四銭で、大半は茶の摘み賃で、それに茶蒸しセイロ二つ、茶箕(ちゃみ)一つを新調している。畑一反ごとの境に茶の木が植えてあり、この近隣に比べても同家はかなりの量の茶を出荷していた。茶の葉の摘み手は五、六人、多い時には七、八人も頼んでいた。直径、高さ共に一メートルもある大きな籠に、ひと葉ひと葉摘んでお茶屋に出荷した。
 次の野菜類には、ズイキ、ミョウガ、トマト、ミツバ、ゴボウ、蕗(ふき)、ヤツガシラなどといった名前が上がってくるが、当時はこれらの野菜類を商品作物として出荷する農家はまだ少なかったという。この家はよく新しい作付を試みる家であったといい、新しい品種の野菜を周囲に先駆けて作っていた。大々的にやっていたわけではないが、トマト以外にも白菜などの葉物を作っており、また「覚帳」にはその作物名は出てこないがウドはよく専門的にやっていてトラックを頼んで出荷していたという。作物のなかで値が安定していたのがさつまいもと麦であったが、単価的にはそれほど高くはなかった。同家の家計のなかで、これら麦、さつまいもの収益の順位が高い位置にあるのは、かなりの広さの作付ということになる。こうした農家経営から、より商品性の高い作物を作りたいという農家の試行錯誤もみえてくる。新しい農家経営へと踏みだす準備期間の渦中の経営状況ともみることができる。
 そして大麦、里いも、赤芽いもと続く。赤芽いもとはヤツガシラと里いもの混合種である。味はヤツガシラと変わらないが形が里いものようで茎が赤い。次の「萱」とあるのは屋根葺き用の茅である。記録者の仲人の家や分家した弟の家に売っている。
 さて、こうした作物の収入に対して、その作物の種や苗への出費は二十五円五銭となっている。まず三月にはさつまいもの種を二俵半買っている。二俵半の購入量であるから、ここでは種いもと解釈する。そして五月下旬には田無でさつまいもの苗を二千本買っている。さつまいもの苗床は毎年大きなものを作っていたが、それでも足りず補充分を購入したのであろう。その他に六月にはサッポロ人参、八月に入ると秋早生大根の種を購入している。十月にはじゃがいもの種子を七俵と俵詰めであるから、これも種いもであろう。この種はじゃがいもが一番高く十六円六十六銭である。そして十二月には平山陸稲の種を五升、藤並糯米(もちごめ)の種を四升買っている。