出荷と入金のリズム

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表2-8 年間の出荷入金サイクル(表2-1と同資料より作成)
表2-8

 次に前述の換金物の出荷量とその入金のリズムを、月を追って作成したのが表2-8である。この表からは同家の出荷のための労力が、年間の中でどういうリズムを持って配分されているものなのか、みることができる。また、これは農家が換金物の保存期間をどれほど維持できていたのかを知ることにもなる。このことについては第三章や第四章でもふれる。
 この表2-8で、一時期に集中して出荷入金するものは何であろうか。まず目につくのが小麦の七月の出荷入金である。小麦は年間のなかでこの七月二十二日に、売上総額五百八十五円八十七銭の、あらかたの量の、六十三俵がまとめて前述の小川の加藤肥料屋に売られている。小麦の収穫期は六月下旬から七月である。その後間のない時期の出荷である。小麦の収穫時期は梅雨期と重なり、雨のない間を縫っての刈り取り、脱穀、そして乾燥作業を考えると、この間の多忙さが推しはかられる。また、草箒も一括出荷である。四月十八日に一万二千二百七十本が一括して出荷されている。一本の単価一銭七厘、合計額二百九円五十九銭で保谷の岩崎市太郎へ売られている。
 次に一年のうちの何回かのある時期に集中して出荷作業が行われるのは、養蚕である。養蚕の場合は春蚕、初秋蚕、晩秋蚕の三回それぞれの時期に、まとめて出荷されている。「覚帳」には春蚕は「六月二十日 二三九円四十九銭 春繭五十三〆弐百廿匁 一〆四五〇銭」、「六月二二日 一〇一円九二銭 春蚕弐番繭 本繭弐拾弐貫六百五十目 但シ壱〆目付金四円五十銭ヅツ」、「(日付はなし)三十七円七銭 玉、中選下全部」といった具合に記されていて、春蚕は収穫量約百貫の八割強が六月二十、二十二日に出荷され、初秋蚕は八月三十日に本繭の全収穫量の六十貫が出荷されている。晩秋蚕は九月に三十七貫強の全収穫量を出荷といった具合である。
 
表2-9 さつまいもの出荷サイクル(表2-1と同資料より作成)
表2-9

 さつまいもの場合(表2-9)は主に十二月下旬から四月までの期間に、断続的に出荷され、三月の中旬から下旬、そして四月の中旬から下旬にピークを迎える。十二月二十七日と、一月は正月の期間を外して一週間おきに三回、計二十三駄と二十二俵の出荷量である。三月は中旬から下旬にかけては五回、計四十九俵と二十三駄の出荷量で収益は百五十八円四十銭。出荷のピークである四月中旬から下旬には計七回の出荷で、さつまいも百四十七俵を出荷し、収益は二百三十円五十八銭であった。さつまいもの収益は合計五百二十七円二十八銭である。
 さつまいもの収穫は十月中旬から下旬である。四月下旬が出荷時のピークであり、掘ったいもを半年間保存しておいたことになる。その保存には、地面に掘ったムロや、地下四メートルほどの深さに掘られた穴蔵を利用した。穴蔵の温度は一年中十六、七度である。さつまいもは低温に弱い。特に冬の寒気にじかに当たらないように気を配った。さつまいもの最適な温度は十三度から十六度だといわれ、穴蔵での保存が最も長期保存に適していた。そして洗わず泥がついたままで出荷していた。
 大根の出荷は、十二月の下旬に集中している。収穫後にハズシ縄にかけて天日に干し、干し大根で出荷する。
 葉物、蔬菜(そさい)類は特定の月に日にちをおかず出荷が続く。これらは杉並区の八丁市場へ出荷されており、ズイキ、ミョウガ、トマト、ミツバなどの蔬菜の出荷は、前述した換金物とは異なった出荷態勢となる。八丁市場は夜市であり、この近辺では大きな市場だった。八月の下旬に出荷は集中するが、蔬菜は収穫後、鮮度を保っての出荷のため、八月の二十二日から二十九日の間は毎日のように十本とか二十本、あるいは五十五本といった数を収穫しては籠や箱に詰めて出荷している。メザシの入っていた平らな箱に並べて詰めて準備した。これを運んでいたのはこの「覚帳」を見せて下さった方の子どもの頃の仕事であった。学校から帰ってきた彼はその箱を自転車の後ろに何段も積んで、八丁市場まで持って行った。そこで仕切ってもらってお金を貰って戻ってくる。この間、毎日毎日出荷が続き、毎日が収穫そして出荷準備に追われる日々となる。こうして毎日出した蔬菜類は全体量が少ないため前述した換金物よりも総金額は高くないのだが、一個あたりの単価は安くはない。出荷した後は八百屋がその夜市に買いに来ていたという。夜市は田無にもあった。夜市は毎晩たっていたし、朝市もあった。この毎日こまごまと入るお金でお酒を買い、畑仕事を終えて一杯飲むのが当主である記録者の一番の楽しみだったという。

図2-4
里いも畑 小川町(2012.6)


 以上、換金物の出荷、入金の年間のリズムを述べてきたのだが、農家にとって、この出荷のための作付収穫作業の手間はもとより、収穫後から出荷、梱包作業がどれほどの手間のかかることだったのかを合わせて農業のありさまを推しはからねばならない。さつまいも、じゃがいも、小麦、大麦、里いもなどの出荷はすべて俵やカマスという稲ワラで編まれた運搬容器で出荷されている。また養蚕の蚕のマユは布袋に入れて籠(かご)で出荷され、蔬菜も籠や箱で出荷される。この昭和十二年には、さつまいもやじゃがいもなどを入れて俵の数にしておよそ三百三俵分、カマスは四十七袋分を出荷しており(表2-5)、農家は空俵が大量に必要だった。農作業に使う用具の項目をひろっていくと、十二月下旬に空俵を百俵分補充している。一枚七銭であった。そうした俵やカマスに入れてそれを出荷用に梱包するのに大量のワラ縄が必要である。ワラは自分の家の田でまかなえる分もあったが、この年の記録をみるかぎり梱包用ワラ縄、また干し大根を作るためのハズシ縄というワラ縄も合わせてかなりの量購入している。
 そしてカマスや俵についてみると、購入した肥料は一部は俵入りであったが、ほとんどがカマスに入っており、その肥料を使った後のカマスは縫い目をほどいてムシロに再利用していた。それだけでは足りないので新しいムシロもこの年補充している。カマスをムシロに再利用するのはこの家だけのことではなく、小平の農家では一般的にカマスをムシロに再利用していたものである(図4-46-1、2)。