蚕飼いの最も忙しい上簇時には、家の者だけでは手が足りないので、人を頼んでいる。そういう蚕雇いは隣組の懇意な家々に頼んだものである。「覚帳」に出てくるのはクラ、フミ、セキ、ノブ、そしてシゲといった女性である。クラという人は新保という店をしている家の女性で、この人は同家の養蚕の際のマユ掻きなどにも必ず頼まれて雇われている。また、春蚕雇いに一か月間宮倉シゲを頼み、また、同人を初秋蚕にも雇い、給金は各々十円を支払っている。蚕が黄色くなって上簇しはじめると、蚕座の上の蚕をザルに拾って簇にいれる、それをヒキ拾いという。その時は人手が集中して必要となる。蚕座に載っている蚕をザルに拾って手渡すヒキ拾いは女衆の仕事で、受け取って簇に入れるのは同家の男衆の仕事であった。そして蚕がマユを作り上げるとそのマユ掻きにも、また茶摘みにもその女衆を頼んでいる。蚕の上簇祝いには、ヒキ拾いやマユ掻きに頼んだ人たちを招いて赤飯を炊きご馳走を振舞った。またこの時には小川の饅頭屋から饅頭を買い、お酒は飲み放題の宴をひらいて皆の労をねぎらったという。収穫したマユは鈴木町に福田というマユの乾燥を一手に引き受ける家があって、そこに頼んでいる。
マユの中には汚れたり潰れたりした売り物にならないマユがあり、それをビジョンマイといったが、そうした売れないマユは家の主婦が利用し、自家用の着物を織るのに使った。記録者の妻はビジョンマイをあつめ縁側で日向ぼっこをしながらマユから糸をとって紡ぎ、高機(たかはた)で家族の着物を織っていた。同家には高機が二台あり、妻だけではなく娘も織った。機織りは絹だけでなく、買った木綿糸を染めて、木綿も織っていたという。