肥料

280 ~ 282 / 881ページ
 金肥が出費の中でも大きな位置を占めていることは前述しているが、この覚帳に記載された購入肥料名は表2-10に示している。こうした金肥が多く使われるようになったのは昭和になってからだという。化学肥料に依存して収量をあげていく農家経営のありさまがみられる。また有機肥料の木灰、米糠(こめぬか)、魚粉(ぎょふん)、そして下肥も購入している。肥料の年間の全購入額は五百四十四円八十二銭である。
 
表2-10 年間の肥料の出費(表2-1と同資料より作成)
肥料数量・購入先他金額
410芋専用肥料15円90銭
423水保肥料10叺代 大竹にて38円也
410カリフヲス10叺21円50銭
410木灰の運賃小嶌にて木灰 30 俵分の運賃1円80銭
410魚粉末10メ入3叺 の残金14円35銭(?)10円95銭
412木灰丮30俵 小嶌にて20円20銭
410電化硫安5叺18円15銭
410「大」過燐酸19半5叺 保谷駅前野口肥料店にて12円85銭
429肥料代保谷野口肥料店へ60円也
421肥料代の残金保谷肥料店へ14円20銭
429春肥の代金矢野彦太郎ヘ代金予部74円也
4月小計195円93銭
628横範完全1叺15〆目 1叺5円25銭
628根菜専用4叺14円80銭
628白硫安2叺7円80銭
628「大」過燐酸壱叺「大」過燐酸壱叺3円15銭
66石批灰酸、鉛ニ、コガチゼン鉛批酸鉛6袋2円19銭
ゼ鉛石灰2 袋
6月小計33円19銭
822小麦化性40叺 小川 加藤肥料店にて140円也
917東肥一号15叺 一叺に付3円38銭50円70銭
秋時金70円入金する
残金58円20銭代
917硫安5叺 一叺に付3円90銭づつ19円50銭
8、9月小計210円20銭
1221下肥2台分 野中浅田にて5円50銭
1223諸肥料代保谷村野口肥糧店へ100円也
12月小計105円50銭
肥料代総計544円82銭

 金肥を使う一方、従来から使われてきた有機肥料の堆肥も同家では毎年大量に作って使っている。堆肥は屋敷まわりや山から落ち葉を掃いて、ハッポンビネという大きな籠に入れて運び込み積み上げ発酵させて作った。
 肥料の購入は三つの時期に集中している。そのひとつは八月下旬から九月にかけての二百十円二十銭で、年間の肥料代の四割近くをこの時出費している。小麦のための化成肥料四十カマス、百四十円。この額が大きい。購入先の店は小川の加藤肥料店で、東肥十五カマス、硫安五カマスも購入している。そして四月中旬に百九十五円九十三銭の出費、春先の作付用の肥料代である。春肥の代金が七十四円ある。その他にどのような肥料名が記載されているのか上げてみると、芋専用肥料、水保肥料十カマスを大竹から購入。カリフオス十カマス、魚粉三カマス、電化硫安。そして小嶌で木灰を三十俵購入している。木灰はカリ分を多く含み、根を収穫する根菜類用の肥料である。保谷駅前の野口肥料店からは「大」過燐酸(原文にあるこの「大」の字の意味は不明。袋の規格かメーカー名と思われる)十九・五カマス他、四月は数々の肥料を春肥として購入している。野口肥料店には十二月にも百円分の諸肥料代を支払っており、同家はかなりのお得意であったたことがわかる。十二月の次の大きい出費はこの肥料代の百五円五十銭である。そして野中の浅田という家から下肥二台分を五円五十銭で購入している。二台分とは、リヤカーに積んだ肥桶分か、木造のタンクの分であるか不明だが、春作付用の分の肥料の準備であろう。
 六月にみえる肥料名は、「大」過燐酸、模範完全肥料(窒素燐酸カリの三要素が混和した肥料)、根菜専用肥料、白硫安、批酸鉛、ガゼ鉛石灰、ニコチンなどである。模範完全肥料、根菜専用肥料はともに根菜専用の肥料であった。硫安はチッソ肥料で葉菜類、根菜類に欠かせない肥料である。過燐酸、批酸鉛は畑の薬であり、石灰も畑の薬である。畑の薬とは土壌を中和させ肥料の吸収をよくし、根の張りをよくするという。ニコチンはネズミよけにまいていたものである。白硫安二カマスが七円八十銭とあるが、その値段は当時としては高いものだった。
 全体量はカマス入りと明記されただけでも百十・五カマス。そして俵物は木灰が三十俵あり、その他量が明記されていないものもある。また米糠については、大根漬け用か肥料かその使途の割合が不明確なため第四章の食関係のところの表でまとめて述べている。米糠の俵数は全部で百五十三俵分と大量に購入され、その代金は合計百三十七円九十銭となっている。米糠は燐酸分を多く含み、低い温度で発酵するため発酵肥料を作る時のベースになる。さつまいもの苗床の温度を上げる発酵促進剤でもある。