同家の「覚帳」の食関係に関する表は、第四章の食の項に示している。表4-7を参照していただきたい。ここではこの表についていくつかのことを付記しておく。
白米であるが、年間通してみて食関係で出費の多い月は十二月の百一円三十四銭である。十二月の食費関係の出費で高額で目につくのが白米購入代金である。川越から三等白米を三俵購入しその代金三十七円九十銭、高円寺の高橋米店から白米の約定金と米糠五十俵代が二十円などである。十二月に白米三俵をまとめて購入している。小平の大半の農家にとって白米は特別の日、モノビに食べられるものであった。白米を食べる日は待ちに待った楽しみな日になる。同家では年中の祭りごと以外に、白米を食べられる日が決まっていて、それは田植え前の田ごしらえに田をマンガ(馬鍬(まぐわ))で掻きならす日で、この日は昔からの習慣で赤飯を炊いたものだった。田を耕作する馬をコエウマ(耕馬)といって、それは下鈴木の深谷という家が賃びきしており、毎年その家に頼んでいた。小平にはコエウマはその深谷という家のみであったという。このコエウマの時には必ず赤飯を炊いた。また、養蚕で百貫とりをしていた時も、上簇祝いに赤飯を炊いたもので、マユ掻きやヒキ拾いに手伝いに来てくれた近所の人にもご馳走や饅頭やお酒を振舞ったことは前述した。そうした節目節目に食べられる白ご飯、赤飯を、何よりも楽しみにしていたという。
次に沢庵大根の米糠・調味料。大根は全収益の中では四番目に入っている。金額は三百五十九円三十六銭である。大根は沢庵漬けにして、あるいは干し大根にして売った。作った大根の九割方が干し大根で売り、それは大根畑を反当いくらという形で売っている。その作付反別は二反から三反であった。沢庵漬けにかかる経費は米糠と塩の代金である。食関係の項目のなかで数量的に大量に購入されているものが米糠である。米糠は一、九、十二月に購入され、その数は全部で百五十三俵分と、かなりの購入量で、購入金額は百三十七円九十銭であった。米糠は大根の沢庵漬け用として欠かせないものであり、また作物の肥料でもある。この米糠の項目についてはその用途が明記されていないので、米糠は食関係にまとめて表にしている。米糠の大きなまとめ買いは、中野の高橋という店で五十俵を五十二円五十銭で購入、また保谷の野口屋(肥料屋でもある)で一俵に付き一円四十五銭で四十五俵を購入、そして高円寺の高橋という店で五十俵を購入した。米糠は俵に入っていた。一方塩は四カマス、七円十七銭で購入。米糠は俵で、塩はカマスで売っていた。
大根は収穫した後、畑で洗い、畑に杭を打ち横に丸太を渡しハズシ縄に編んで干した。昼間の天気の良い陽が照っている間に干し、夕方になると凍らないようにまとめてムシロをかけておき、あくる朝また陽が照っている間に干した。干し大根は手間がかかったが売値はその方が良かった。売り先は埼玉県の漬物屋、小平漬物工場、そして組合にまとめて出しており、国分寺、府中方面に出荷している。
調味料として出てくるのは前述の塩のほかに砂糖、醤油、鰹節である。砂糖は普段使うことはあまり聞かず、特別な祝い事があった時に使われたという。砂糖やサラシ餡の項目が出てくる時は何かの祝いごとのある日になる。砂糖は昔は白砂糖、玉砂糖、ザラメ(粗目)の三種類があった。味噌の記載はなく、自家製であったろう。醤油は同家ではもう作らなくなっていたのであろう、全部で三斗八升と亀甲万醤油ビン詰四本を購入している。そして十月、十一月下旬には鰹節を十四本購入し、十一月下旬にも四本程買っている。鰹節は調理にも使われたが、前述したが祝いの時の贈答品だった。